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雑記帖 No.174

利久寄席の軌跡(2)

未来へ轍は続く

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堺東の商店街の玄関口にあったうどん蕎麦屋『利久』で開催されていた、『利久寄席』がお店の閉店に伴い23年の歴史に幕を閉じたものの、仲間たちの声に押されて店主の中谷幸久さんは世話人会と共に近くのカルチャーセンターで『利久寄席』を復活させたのは半年後のことでした。その後今日まで『利久寄席』は6年続き、今年2018年には記念の30周年を迎えることとなりました。

前篇では、2018年最初の『利久寄席』の準備を終えた後、世話人会代表の中谷さんや副代表に西村弘武さんをはじめとした世話人会の皆さんに、『利久寄席』復活の経緯をお聞きしました。後篇では、30年前の原点から振り返ってみましょう。


■30年前の利久寄席のはじまり
長い歴史がある『利久』はもともと『丸中食堂』の名前で町の食堂としてオープンしていました。それが出汁にこだわったうどん専門店『利久』として再スタートすると人気が出て大繁盛となりました。数年後にはお店を増築して、3階に座敷を作るまでになりました。
「しかし3階まで上がってもらうには何か仕掛けがいる。店名の『利久』は千利休にちなんだもの(利を休むのは商売として良くないので、字を久に変えた)なので、お茶の教室をしよう。もうひとつ落語会をしようということになったのです。運よく、店舗の設計士さんの縁で桂米朝事務所とつながることができて、初代の世話人に桂喜丸さんになっていただけました」
こうしてプロの落語家を招いての落語会を1か月に1回開催することが出来るようになったのです(再開後は2か月に1回)。その後、残念ながら桂喜丸さんは脳溢血で倒れて亡くなり、2代目世話人となった桂む雀さんも病に倒れて、現在は3代目の桂米平さんが世話人を務めています。

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▲受付をするお客様を見守る世話人代表中谷幸久さん。


世話人会の中でも古株の堀瑞さんは当時を懐かしみます。
「落語会の後の飲み会が楽しかった。お酒の好きな人が多かったこともあって、『利久』で出してくれる季節ごとの料理も美味しかった。とてもそんな値段では食べられないような料理が出て」
この飲み会には、落語家さんも一緒になって楽しんでいたそうです。『利久』が無くなった今も、会場を別に変えて打ち上げは続いているのだとか。

さて会場に出囃子が鳴り始めました。姿を見せたのは、着物を着た巨漢で、米朝一門最重量を誇る桂米平さんです。

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▲世話人会の努力が実り、この日も大入り満員です。


■珍しい演目を楽しめた1日
落語に先立ち桂米平さんは、30周年を迎えた『利久寄席』の歴史を振り返りました。
『利久寄席』が始まったのは平成元年ということもあって、米平さんはこの年の事を語ります。昭和が平成に代わった、この年は昭和天皇が亡くなったのが1月7日だったため、この日までは昭和64年だったそうです。わずか1週間だけが昭和64年だったことは、知る人ぞ知る事実ですが、では昭和元年はどうだったのか。実は大正天皇が亡くなったのが大正15年12月25日だったため、昭和元年も1週間しかありませんでした。
「つまり、昭和というのは最初と最後の1週間しかなかったのですな」
と米平さん。昭和64年が短かったのは覚えていても、昭和の始まりも短かったのは多くの人にとって初耳だったのではないでしょうか。こうしてすっかり会場が温まると、いよいよ一番手として笑福亭生寿さんが登場しました。

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▲笑福亭生寿さん。演目は『延陽伯』。


生寿さんは、枕で『利久』の思い出を語りました。『利久寄席』に出たことはないものの、師匠のかばん持ちとして『利久』に来た生寿さん。例の打ち上げでは、からかわれて生きたエビの頭を掴んで鍋にいれてしまい、暴れる尾っぽで熱湯を浴びてしまったとか。
演目は『延陽伯』。
長屋に暮らすちょっと抜けた所がある独り身の男の所へ、公家侍で育ちが良すぎて言葉が丁寧すぎるお嬢さん「延陽伯」がお嫁入りしてきたというお話。
名前を尋ねられると、両親のことから、誕生の経緯に幼名まですべて格調高く文語まじりで語るお嬢さんの言葉を男は理解できずに全部を名前だと勘違い。一方、お嬢さんはお嬢さんで長屋住まいでも、男を「わが君」と呼び平安貴族さながの暮らしをしている調子でいます。お嬢さんもまた、どこか抜けている人物なのでした。この愛すべき2人のちぐはぐなやりとりや、ちぐはぐな暮らしぶりの情景に、ほっこりとしてしまう噺でした。つるつると滑らかな生寿さんの語り口を堪能できました。

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▲桂しん吉さん。演目は『唖の釣り』。


次に登場したのは、桂しん吉さん。
師匠の故・桂吉朝さんが堺出身とあって、枕は堺との縁から。この(2018年)3月11日には、大仙公園の日本庭園で落語をすることになったとの宣伝も。しん吉さんは鉄道マニアとしても有名ですが、実は親子3代に渡って鉄道マニア。実家も線路のすぐ脇にあったとか。自身も線路の横に住みたいが果たせず、伊丹の自宅のガレージに購入した古いレールを使って車止めを作り満足しているなんて話も。
落語でも、マニアと伊丹の池が出てくる『唖の釣り』。現代では唖という言葉が忌避されて、『昆陽(こや)の御池』とも言うようですが、そんなこともあって今ではあまり演じられない珍しい噺だそうです。
お話では、釣りに凝っている甚兵衛はんに、アホな男がついていって昆陽の池で釣りをすることに。その池は殺生禁断の池で、それだけに魚が沢山獲れる。甚兵衛はんはこっそりと忍び込んで魚を獲って売りさばくからいい暮らしが出来ている。もちろん、役人に見つかったらただでは済まないのだが、うまい言い訳が甚兵衛はんにはある。病気の母のために禁制とわかっていても魚を獲りに来たと涙ながらに言えばお役人も見逃してくれる。池の番は腰掛の仕事で役人はすぐに入れ替わるので、この言い訳がずっと通じていたのです。ところが、アホな男を連れて行ったために甚兵衛さんの目論見は崩れます。アホな男が先に見つかってしまい、甚兵衛はんに教わった言い訳を使ってしまいます。次に見つかった甚兵衛はんは同じ言い訳を使うわけにはいかずあわあわしていたのを、役人から口がきけないと勘違いされ、それを逆手にしゃべれないふりをして身振り手振りで言い訳を押し通そうということに。
甚兵衛はんと男の2人が池に向かうまでのやりとりや役人の詰問やの抗弁する様も面白ろく、会話の展開をしん吉さんの描写力で楽しむことが出来る噺でした。

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▲世話人でもある桂米平さん。演目は『魚の狂句』。枕でも俳句の小話を披露しました。


最後は米平さんが登場します。
この日は、落語のあとに抽選会が控えており、落語は短くというリクエストがあり米平さんは短い噺を用意してきました。そのおかげで短くもめったにない珍しい噺『魚の狂句』を聞くことが出来ました。米平さん曰く、
「この話がなぜやられないかというと面白くないからです。それと女性を差別しているというわけではないのですが、女性を魚に譬える噺なのであまりやられません」
登場人物は夜の遊びが好きな俳句好きの2人。片方が奥さんにばれてしまって頭を丸めさせられてしまいます。それでも懲りずに、これからは夜遊びの相談を奥さんにわからないように、女性を魚に譬えた狂句にしてやろうというのです。京都の吉原なら、なんの魚に譬える? 東京の歌舞伎町なら? 札幌ススキノなら? ギャルなら? ニューハーフなら? といったお題を575で返していくといった噺。
どう魚に見立てるか、洒脱に句にまとめるか、その巧みさを楽しむ噺でした。古いお話でもあるので、一部は現代風に米平さんがアレンジしたとのことです。

この噺、たしかに米平さん自身もおっしゃっていましたが、女性の扱い方を問題視される噺ではあるでしょう。このことについてちょっと考えてみました。
落語は人間の欲望を肯定的に捉えて、それゆえの失敗や嫉妬などを喜劇として演じて楽しませてくれます。演じられているアホな登場人物は、聴衆自身やその隣人です。自分たち自身のアホさや、欲望、そして時には差別心すら笑いにしています。
一方で、落語が誕生した江戸時代の時代背景からも、その笑いの文化は男社会に根差している、男性視点の笑いです。ジェンダー観が江戸時代とはかけ離れてしまった現代では、通用しない部分が出てくるのも当然でしょう。
『魚の狂句』も男性から女性を品定めする、男から女への一方的な上から下への視線、固定的な男女の位置関係が差別的に感じる所です。男が(釣りの成果にひっかけて)「坊主」になるだけでは、バランスが悪くて片手落ち感にもやっとしてしまう。
しかし、品定めは男から女へも、女から男へもするものなのだから、その両方を共に肯定して、互いの欲望、互いの差別心を笑いに転化すれば、現代的な演目として生まれ変わらせることが出来るように思います。
当時の風俗を知るためにも古典を博物館の標本的にそのまま残すことも大切ですし、一方で現代の生きた大衆文化として落語を演じるには、時代による価値観の変化への対応も必要でしょう。......閑話休題。


■落語愛は続く
すべての落語が終わると、その後は年に一度の大抽選会になりました。様々な景品が提供され、70人の観客全員に何かあたるという、太っ腹な抽選会です。
お酒の『長龍』さん提供のお酒やワイン、『ポルシェ』からはノベルティのモバイルバッテリーやステーショナリーなど、豪華景品が登場したのですが、そんな中でも盛り上がったのが、米平さんが桂米朝事務所から持ってきた落語家グッズ。特に非売品の記念品や桂米朝・桂枝雀のDVDとCDのセットなどは、ため息ともどよめきともつかない声があがっていました。やはり寄席に集まる落語好きの皆さんだと思わされる瞬間でした。

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▲盛り上がった抽選会。ワインがあたった!


全員に景品があたり、第214回の利久寄席も無事終わりました。
最後に中谷さんに、30年を振り返っての思い出についてお聞きしました。
「この30年で一番の思い出はやっぱり喜丸さんが亡くなったことです。あれは一番辛かった」
辛い思い出に中谷さんの言葉も少し重くなります。しかし、すぐに切り替えて、
「それと一度閉めた寄席をもう一度開いたのも珍しいことですよね。今、もう一度閉めて開けといわれても出来ないでしょうけど」
世話人会の力があってこそ、再開が出来たのだと中谷さんの実感が籠っているようでした。

では、これからの『利久寄席』にはどうなっていくのでしょうか。
「丸30年になりますが、これまでは5年ごとに場所を代えて、福祉会館や市民会館のホールを借りて記念のイベントを開催していました。本来なら30周年もそうしたいところなのですが、丁度今市民会館が工事中でしょう。だから、今年は毎回の寄席に師匠の皆さんや色んな人に来てもらって、通年で祝う1年にしようと考えています。新しい堺市民会館フェニーチェが完成したら、改めてこけら落としに大きなイベントをやりたいと考えています」
そろそろ世話人代表の代替わりもしたいなんておっしゃっていましたが、中谷さんの落語愛は熱く、まだまだあふれ出てくるようです。

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▲木戸銭を払っている世話人も抽選の権利アリ。中谷さんが手にしたものは......。


どうやら今年はアニヴァーサリーイヤーとして、いつにも増して充実した落語会が『利久寄席』では開催されるようですよ。落語ファンも、これからファンになろうとする人も『利久寄席』へ行ってみてはいかがでしょうか?


利久寄席
会場:富士カルチャーセンター(南海「堺東駅」西口より徒歩1分)
問合せ:090-9540-7589

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