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雑記帖 No.169

門を開いた愛染院(2)

お寺から施しを

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真言宗の普光山愛染院は、堺市北区にあり堺市の有形文化財に指定されている名刹です。本堂は江戸時代初期の慶安年間のもの。本尊の秘仏である観音像は平安時代のものです。そんな由緒あるお寺ですが、明治維新後の廃藩置県でスポンサーだった大名もいなくなり、お寺の貴重な収入源だった田んぼも戦後の農地改革によって失ってしまいました。
現在の住職である野口真龍さんが、羽曳野の野中寺から愛染院にやってきたときは、檀家さんもわずか10軒ほどしかなかったといいます。そんな愛染院を、地域に開かれたお寺へと変えるために、一体野口さんが何をしたのでしょうか。連続三回シリーズの中篇でお届けします。(→前篇


■景気のいい時代に景気の悪いお寺で
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▲普光山愛染寺の住職・野口真龍さん。


檀家が10軒しかない愛染院では、これといってすることがなく、野口さんは毎日暇を持て余していました。
「何しろ、お坊さんが一番忙しいお盆でも午前中だけで檀家回りが終わってしまいます。ご近所の他のお寺のお坊さんが忙しく行ったり来たりしているのに。当時は、近所の大豆塚町の読み方もわからなかったぐらいなので、土地勘を得るためにも、生まれたばかりの長男の乳母車を押して散歩を良くしていました。餃子の王将で一人前だけ餃子を買って帰ろうとして、お店の大将から『兄ちゃん、若いのに昼間から何やってるんや!』と言われても、TシャツGパンで出歩いているから、まさかお坊さんやってますともいえない」
そんな日々だったので、野口さんには考える時間だけはたっぷりありました。

「お寺って何のためにあるのかをよく考えました。葬式のためだけに仏教はあるのか。檀家だけ、真言宗の方だけを探すようなことをしていたら、それは仏教としておかしいんじゃないか」
たとえば税金のことも考えました。
「愛染院も固定資産税がかかっていません。それはなぜかというと宗教施設だからで、宗教施設はお寺や檀家だけのものではなく、みんなのものだからです」
宗教施設はみんなのためのものである......というのが、野口さんがたどり着いた結論でした。では、それをどのように実現していけばいいのでしょうか。
「同じ宗教施設でも神社は檀家がなくても人が行く。それは何故なのかを近所の人にも聞いてみました。神社は入りやすいけど、お寺は入りにくいと皆さんが言う。それはそうでしょう。多くのお寺は門が閉まっている。まず門を開けようというところから始めました。門を開けてすぐに人が来たわけでもないし、檀家が増えたわけでもなかったのですが」

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▲野口さんが開いた愛染院の山門。取材中にも門をくぐる近所の方の姿がありました。


すぐに結果が出たわけではない野口さんを支えた言葉がありました。
「それは羽曳野の先輩のお坊さんに言われたことです。『お寺というのは、拝んでたら必ず悪いようにせえへんから、よう拝んでおきなさいや。そこがビジネスと違う所、ビジネスなら事業計画書がいるけれど、お寺は拝みなさい。そうすると仏さまは見捨てないから』と。正直、そうかなぁと思いはしたのですが、言われた通り拝んでいたら、確かに死にませんでした」
当時バブル期だったことも幸運でした。
「その頃のお葬式は派手なものでした。社葬もよくあったし、お葬式に5人、6人のお坊さんを呼ぶこともあったのです。うちは不景気でしたけれど、景気のいいお寺は人手不足になって、スタッフとして呼ばれたりもしたのです。月一回ぐらいでも呼んでもらえるとお布施でなんとかやっていけました」
他所のお寺のお葬式のアルバイトをしながら、愛染院の門を開け、お経をあげる毎日でした。
「門が開いている、お経をあげている音がすると、何かやっているんやなというので、ぼちぼち問い合わせが来るようになったのです。仏壇をどうしたらいいとか、そろそろお父さんが危なくて......なんて」
こうして門を開けたことでようやく地域との交流が始まりました。そこで、今度は野口さんは、かつて行われていた法会をの復活に取り組むことにしたのです。


■千日会の復活
愛染院では、毎年8月10日に観音様の千日会が行われます。千日会は愛染院だけでなく、全国的に行われるのですが、日にちには多少のずれがあって、8月9日・10日に行われる所と、7月9日・10日に行われる所とがあります。これは何故なのでしょうか。
「本当は10日なのですが、仏教ではお逮夜(おたいや)参りといって、前日の午後から参って欲しいのです。そして本来は旧暦の7月9日・10日が千日会になるのですが、明治の時に太陽暦に変えたでしょう。その時に、関東では日付を重視して7月9日・10日に行うことにしたのです。一方、関西では季節を重視して旧暦に近い8月9日・10日に行っています。これはお盆もそうですね。関東では日付を重視して7月13日・14日・15日。関西では季節を重視して8月13日・14日・15日がお盆です。七夕も旧暦ですると7月の下旬になります。すると梅雨も終わって晴れた空の七夕なんですね。やはり日本の行事は旧暦でやる方が日本の季節には合うと思いますね」
と、閑話休題。

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▲野口さんによる大般若経の転読。大音声で1人でやってもかなりの迫力です。


ともかく全国的に千日会は行われており、これは非常にありがたいものとされています。
「千日会は、観音さんの功徳日で、この日にお参りすると4万6千日参ったのと同じ功徳があるとされているのです。近所の方に聞くと、愛染院では前のご住職が70代だった、昭和40年ごろまでは賑やかにされていたのだそうです。門を開けて夜店も開かれて、御詠歌もやっての千日会だったのだそうです。それが40年を機に、夜店も呼ばず、本堂だけ開けてお参りに来る人だけが来るようになったのだそうです」

野口さんは、この千日会の復活に取り掛かることにします。
「業者さんに電話して、屋台を入れることにしたら5~6軒来てくれることになった。新聞折り込みをいれて宣伝したら、20年前やってた夜店がまた始まるとご近所の注目も集まってきた。それで肝心のお経も普通にやったら眠たくなるから、ちょっと変わったことをやろうと思い立ちました。沢山のお坊さんが来たら珍しいやろうと、大般若の転読法要という大般若経600巻を一気に読み上げるものをすることにしたのです」
この転読を野口さんは、実演してくれました。大声で巻の名を叫びながら、お経を頭上で広げては畳んで経卓に勢いよくたたきつける。なかなかの迫力です。
「大般若経600巻を普通に買えば数百万円もするのですが、古くなったものを安く譲ってもらって表装しなおしたりして揃えました。お経は一箱に50巻入っているので、6人のお坊さんで2箱ずつやることにしたのです」
こうして6人のお坊さんが、激しい転読を行う千日会が始まったのです。
「これは仏教への思い込みを壊したい。こんなものもあるんだと思ってもらいたいというのもあるのです」
そんな経緯もあって、愛染院では20年ぶりに賑やかな千日会が復活しました。多くの人が門をくぐる、お祭りのような法会が蘇ったのでした。

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▲大般若経600巻を納める木箱。一箱に50巻入っている。


■節分に食べ物の施しを
さらに野口さんには、一つ謎がありました。
「節分になるとこのあたりの人も、大和川を越えてあびこ観音さんにお参りにいくのです。うちだって観音様なのに、どうして向こうに行くの、うちに来ないのというのが疑問だったのです。ポツポツできた檀家さんに訊いたら、『それは観音さんにも格がありますからねぇ』と言われたのです。観音さんに格なんてないはずですよ。そこで、私は思ったのです。これは人の流れだ。道筋を作れば人が来るんじゃないかと」
では、一体どうすれば流れを作ることが出来るのでしょうか。野口さんは、再びアドバイスに出会います。
「1人はまた別の年配の先輩に言われたことです。『今の仏教は内向きや。人に施しをしなさいというわりには施しを貯めようとする。それはいいことではない。回向をするのに、何も出さずに人を返すのはよくない。お寺から何か食べ物を出すことはお寺の繁栄につながります』と。もう1人はお寺の方ではなく一般の方なのですが、『ありがたいお寺があります。除夜の鐘をつくときに、お蕎麦をだしはるんです。寒い中蕎麦を食べるのは風流ですね』。なるほどと思ったのですが、食べ物を出すにしても何を出そうかと頭を悩ませました」
節分とはいえ手巻きずしは手間がかかりすぎる。甘酒は近くの華表神社がすでに出している。
「それでぜんざいなら節分らしいだろうと、15年前から振舞いぜんざいをはじめたのです。1年目は100杯用意して、あっという間になくなった。2年目は200杯だして、これもあっという間。次の年は300杯だしたけどあっという間。ついに1000杯だすようになったけれど、これでさすがに打ち止めにしました。お陰で毎年1000人以上、お餅が出尽くしてもまだ汁だけも出るから1300人ぐらいは毎年人が来て下さるようになったのです」
お接待なので、当然ただで出しているのですが、実はすぐに助けがあらわれたのです。
「2年目からお餅を寄付してくれる方があらわれました。今では毎年お餅1000個にお砂糖も寄付してもらえるようになりました。これはお寺がやっているので、慈善行為が素直にとっていただけるからだと思うのです。企業だったら、何か目的があるのだろうと、そうはとってもらえなかったかもしれません。『お寺は拝んでいたら悪いようにせえへん』というのは、つくづく本当だなと思いました」

10軒しか檀家のいなかった愛染院の閉じていた門を開け、1人お経を唱えるところから始めたのが、いつしか節分には1000人を超える参拝者がやってくるお寺、千日会には夜店が軒を連ねるお寺になりました。

今でこそ、野口さんのように、門を開けて地域に溶け込み、まちの場として宗教施設を活用しようとする意欲的な宗教者は、宗派を問わずに目にするようになりました。しかし、野口さんはバブルの頃にも「景気の悪い」お寺であったこともあって、他に先駆けて早く門戸開放改革を始めたように思えます。
そんな野口さんだからこそでしょうか。今の日本の仏教界には危機が迫っているのだといいます。後篇では、野口さんが言う危機とは何なのか、思うところを語ってもらうことにしましょう。

(後篇へつづく)

高野山真言宗 愛染院
堺市北区蔵前町2丁12-12
TEL 072-252-0795


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