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雑記帖 No.163

世界最大級のミュシャ・コレクション(3)

堺 アルフォンス・ミュシャ館 ~デザイナーから画家へ~

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アルフォンス・ミュシャ≪蛇のブレスレットと指輪≫ 1899年 金、エナメル、オパール、ダイヤモンド



世界有数のミュシャコレクションを所蔵する堺アルフォンス・ミュシャ館。その魅力の1つはポスターだけでなく、油彩や彫刻など1点もの作品も数多くみられること。そして、若き日から晩年までアルフォンス・ミュシャという作家の全体像を俯瞰してみられることです。
丁度、取材で訪れた時は、ミュシャの影響を受けた人々、ミュシャに影響を与えた人々も取り上げた企画展「あこがれ アルフォンス・ミュシャに魅せられた人々」が開催されていました。

前回第2回の記事ではミュシャの生きた時代について触れました。第3回では学芸員の川口裕加子さんの案内で企画展の作品を鑑賞するところからはじめましょう。


■唯一無二のミュシャ一を知る
私たちの目の前にはミュシャの出世作となった大女優サラ・ベルナールのポスターがあります。それにはミュシャを特徴づける要素がぎっしり詰まっています。
「この縦長の構図は特徴的なものです。堂々としたポーズ、奥行きがなくて前に出てくる迫力、ミュシャは神々しく演出するのが得意でした。背景の半円のモチーフもミュシャが好んで描くものです」
作品の隣には、同時代の別の作家が描いたサラ・ベルナールのポスターも展示してありました。それはサラがジャンヌ・ダルクを演じたものでした。そちらのポスターだってインパクトのある良いポスターだと思えます。しかし、芝居の演目の違いはあれど、見比べてみるとミュシャのポスターの斬新さ精緻さに圧倒されます。

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▲大女優サラ・ベルナールを描いたポスター≪ジスモンダ≫。足元の暗い色彩の怪しげな人物がアクセントになっているように思います。1895年 リトグラフ・紙


「サラに気に入られたミュシャは専属のポスターデザイナーになります。舞台「メディア」のポスターでミュシャが描いた蛇のアクセサリーをサラが気に入って、実際に作られたりもしました。そしてこれがそのアクセサリーです」
さらりと川口さんはおっしゃいますが、目の前にあるのはミュシャがデザインして、サラが身に着けた世界に一つだけの作品です。
堺 アルフォンス・ミュシャ館が所蔵する「カメラのドイ」の創業者だった土居君雄さんが集めたミュシャ・コレクションは世界有数のものと説明を受けていましたが、その言葉に偽りなしです。


サラ・ベルナールはフランスの大女優で、当時の美人の基準とは外れていたそうなのですが、個性美と受け取られ「聖なるサラ」とまで称されていました。
「どうやら映画にも出ていたそうですが、日本国内ではその映画は手に入らず、ほんのわずかですがサラが映っている映像が入手できたので、今回の展覧会ではそれを上映しています」
堺 アルフォンス・ミュシャ館が入手したサラの映像はほんの数秒ですが、容貌が確認できる貴重なものでした。

展覧会には、デザイナーとしてのミュシャの実力が窺える展示も数多くありました。
その一つが、あまり見ることがない挿絵画家としての作品です。『白い象の伝説』という書籍の挿絵ですが、小説のワンシーンを切り取った作品でしょう。モノクロなだけに、ミュシャのデッサン力の確かさ、1枚の絵としての画面構成の美しさに舌を巻きます。
「サラのポスターを引き受ける前から、ミュシャは挿絵画家として腕を振るっていました。注文も多く舞い込んでいたようで、無名の画家がサラのポスターをきっかけに一躍売れっ子になったというのは、少し違うかもしれません」
ミュシャのデビュー伝説は嘘ではないにせよ、少し話が盛られている所があるようです。

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▲ミュシャのデザイナーとしての実力を堪能できるリトグラフ≪桜草≫。1899年 リトグラフ・紙


ミュシャのデザイナーとしての腕は抜きんでたもののようで、どうぞ真似をしてごらんなさいと言わんばかりに他のデザイナーのお手本となるような装飾デザイン集まで出版しています。
その自信も当然なことは、展示されているデッサンや習作が物語っています。緻密な植物のデッサンをもとに、簡略化してミュシャがデザインの中に取り込んでいるのがわかります。
「植物と女性を描いた作品も、女性と一体化した髪飾りの部分は植物が細かく書き込まれていて、外枠の装飾の部分では省略してデザイン化しています。こういう所からも、ミュシャのデザイナーとしての実力がわかりますね」
デザイナーとしてのミュシャを堪能した次には、画家としてのミュシャにも触れてみましょう。


■民族自決の闘いに参入したミュシャ
1枚の油彩画があります。
「これ≪クオ・ヴァディス≫。ポーランドの歴史小説をもとにした作品です。小説はローマ帝国下で迫害されていたキリスト教徒を描いていますが、それは新教のプロイセン支配下のポーランドでカソリック教徒が苦しめられている19世紀の現状をなぞらえて描いたものなのです。この作品には、画家として創作に苦しむミュシャの心情なども盛り込まれていると思われます」
そして、ローマ帝国下のキリスト教徒や、ポーランドと同じく、異民族支配下にあるスラヴ民族の祖国チェコのこともミュシャの念頭にはあったことでしょう。

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▲堺 アルフォンス・ミュシャ館4階展示室。(写真提供:堺市)


ミュシャが祖国への思いを深くしたきっかけになったのは、1900年のパリ万博のことだったといわれています。
「オーストリア・ハンガリー帝国からの依頼で、パリ万博にボスニア・ヘルツェゴビナ館の壁画の制作を依頼されます。この時、ミュシャはチェコと同じスラヴ民族のボスニア・ヘルツェゴビナの民族独立運動に触れ、チェコの独立にも貢献したいと考えるようになったのです」
ミュシャは作品制作のために南スラヴを取材し、ボスニア史から12の場面を選んで、絵巻物のような作品を完成させます。その作品を制作する中で、後の一連の大作「スラヴ叙事詩」の制作を決意し、構想は練られたのでした。

パリ万博の後にミュシャは渡米しますが、それは「スラヴ叙事詩」制作の資金集めやパトロンを見つけるためでした。パトロン捜しに成功したミュシャは、デザイナーとしての活動に決別してパリを後にし、チェコの田舎町の城をアトリエとして借ります。これも広い空間で巨大な作品を制作するためでした。


■無償で祖国に協力 スラヴ叙事詩の完成
ミュシャがチェコに帰国して『スラヴ叙事詩』の制作をはじめた1910年代、かつて取材に訪れた南スラヴは戦火に包まれます。民族独立運動の沸騰からギリシャや南スラヴを舞台に、バルカン戦争が勃発。第一次、第二次バルカン戦争を経て、オーストラリア皇太子が南スラヴのセルビアで暗殺されるに至り、ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦へとなだれ込んだのです。

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▲チェコスロバキア共和国・独立10周年ポスター。アルフォンス・ミュシャ≪1918-1928:独立10周年≫1928年 リトグラフ・紙


毒ガスや戦車も登場した「大戦争(グレートウォー)」の惨禍に人々は戦慄し、1918年に国際的な平和維持機構として国際連盟が発足します。同年、大戦の終了とオーストリア・ハンガリー帝国の崩壊を受けて、チェコスロバキア共和国が独立を果たします。
念願の独立を叶えた祖国に対して、ミュシャはほとんど無償で協力します。新国家の切手や紙幣のデザインなど新国家に必要な仕事を請け負ったのです。その間も、ミュシャは最大のもので縦6m×横8mもある20点の大作≪スラヴ叙事詩≫の制作を進めます。

この≪スラヴ叙事詩≫は、チェコ人だけでなく、ポーランドやセルビア、ロシアなど広くスラヴ民族全般の神話と歴史を古代から現代に至るまでモチーフに取り込んでいます。そんなところを見ると、ミュシャは民族主義やナショナリストという範疇を超えた普遍的な芸術家といった印象を受けます。それはよくある歴史画のように歴史上の英雄よりも、名もなき一般の人々にスポットをあてたミュシャの視線・切り口によるものでしょう。ミュシャは、あまり多くを語らず、彼の言葉はさほど残されていないのですが、やはり一部の人のための芸術ではなく、一般の人のための芸術を志していたようです。
国立新美術館で開催された「ミュシャ展」に65万人以上もの来館者があったのも、民族を題材にしながらもそれを超越した『スラヴ叙事詩』の魅力があってのことかもしれませんね。

長く続けてきたミュシャシリーズ、次回が最終回です。念願の祖国独立後にミュシャを待ち受けていた悲劇、そして誰もが知る巨匠を介しての与謝野晶子とミュシャの縁など、盛り沢山でお届けします。


※画像1枚目はミュシャのデザインをもとに作られた蛇のアクセサリー。(画像提供;堺市)


堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館 )
堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館2F~4F
○3F、4F、堺 アルフォンス・ミュシャ館 
○2F玄関、チケットカウンター、ショップ
TEL 072-222-5533
FAX 072-222-6833





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