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雑記帖 No.160

第九回堺原爆展とDVD「かたりつぐ ヒロシマ・ナガサキ 1945」

7月22日/23日 堺市総合福祉会館

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第九回堺原爆展は、「堺原爆被害者の会」と「堺原爆被害者二世の会」が主催し、それにインターネットメディア「omoroi堺」が協力して開催されました。つーる・ど・堺では、事前インタビューを記事(前篇後篇)にまとめたのですが、今回は実際の原爆展の様子、そして制作されたDVDの視聴レポートをお届けします。


■第九回堺原爆展
堺には現在500名ほどの被爆一世と、200名ほどの被爆二世が会に所属しています。一世が高齢化し、しだいに数を減らしていく中、そして戦争の記憶が風化していく中、どうやって語り継いでいくのか、そんな課題がある中、7月22日、23日に開催された第九回堺原爆展が開催されました。

22日には、堺の音楽家稲本渡さんプロデュースによるピースコンサートも開催されましたが、残念ながら時間があわずに会場となった堺市総合福祉会館へは翌23日に伺うこととなりました。会場へ向かう道すがら、堺原爆展帰りで感想を口にされている方々とすれ違います。

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▲通路に展示された数々の作品。ひとそれぞれに大切なものがある。


展示会場のある5階へあがると、会場に入る前の通路から展示ははじまっていました。
通路にはその人の「大切なもの」をテーマに募集された絵や写真が通路を彩っていました。家族や友達、将来への夢......。子供も大人も大切なものとつながって生きている日常。それが通路を越えた瞬間「平和のない世界」に一変します。

「大切なものを一瞬で奪うのが原爆。それを実感してほしかった」
堺原爆展をコーディネートしたomoroi堺の藤岡雅人さんは、展示の意図をそう語りました。その意図は、十分に発揮されていたようでした。会場には原爆のパネル展示があり、それを熱心に見る親子連れからお年寄りまで、多くの来場者の姿がありました。
「去年に比べても来場者が増えました。それよりも何よりうれしいのが、1人あたりの滞在時間が長いのです。子供さんもじっくりと展示を見てくれています」
パネル展示は、制作したDVDの内容に沿ったもので、原爆とはどういうものか、その被害の状況をデータだけでなく、絵や写真などのビジュアル、生き残られた方の証言など、多角的に「原爆」とは何かを浮かび上がらせています。

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▲原爆やその被害について多角的に知ることが出来る詳細なパネル展示。


順路を進むと、会場の奥には小さなDVDの上映スペースもあり、その手前には来場者のメッセージを貼ったボード、折り鶴のワークショップコーナー、原爆に関する関連書籍の紹介コーナーなどもありました。
「展示を見終わった最後には涙を流される方もいます」
藤岡さんの言葉にも納得の展示でした。

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▲平和への祈りをこめた作品も。


展示を見終えて、会場を出ると、外は7月の暑い盛りです。駅へ向かうと、合同庁舎前の広場では、ゆるきゃらも登場したイベントが開催されていました。堺大空襲から、原爆が投下されポツダム宣言を受諾するまでの一か月の間、この場所も焼け野原だったんだな......そんなことを思い起こしました。


■DVD「かたりつぐ ヒロシマ・ナガサキ1945」
堺原爆被爆者の会が企画・制作したDVD「かたりつぐ ヒロシマ・ナガサキ1945」は、資料提供の制限もあって販売はしていませんが、会に協賛することで入手できます。
視聴時間を作っていざスイッチをいれるには、ちょっとした心の準備が必要だったのですが、見始めると時間がたつのはあっという間でした。

映画の冒頭は、あのバラク・オバマ元アメリカ大統領の広島訪問からはじまります。現職のアメリカ大統領が核兵器の投下された都市を訪問すること自体がはじめてのことでした。
そして日本は戦争被爆国でありながら、戦争の記憶の風化が推し進められているようで、その真実は十分に語られているとはいえません。堺でも1966年に堺原爆被害者の会が誕生し、1983年には非核平和都市宣言を行いましたが、どれだけの市民がそのことを知っているでしょうか。

DVDではおさらいをするように、1941年の真珠湾攻撃から、太平洋戦争の歴史を語ります。軍需工場があって栄えた堺は、米軍のターゲットとなり5回の空襲を受け、最大の7月10日にあった通称「堺大空襲」では3000人もの死傷者を出しました。
堺だけでなく日本中が空襲で焼け野原になっていく中、アメリカ・イギリス・中国は日本に降伏を求めるポツダム宣言を7月26日に出しますが日本政府は拒否。そして8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下されます。

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▲会場で折り鶴を折るワークショップもありました。


映像は生々しさを増します。広島と原爆の空でさく裂した2つの核爆弾リトルボーイとファットマン......併せて数十万を焼き殺した爆弾を生き延びた人々が画面に登場し、彼らの見たキノコ雲の下の惨禍を証言するのです。

見習い看護婦だった女性は語ります。
「町中が人の焼ける匂いでいっぱいだった。鏡を見てこれが自分の顔かとびっくりした」
死体の処理を命ぜられた少年兵は、炎から逃れて川に入り大量に溺死した死体を引き上げ、満員電車で被爆した瞬間赤ん坊を産み落として死んだ妊婦を見て一緒に焼いてあげようとしたそうです。
「こんなことなら特攻に行けばよかった」
生き延びた少年が死を願うほどの惨状だったのです。

証言は、戦後に続いた苦しみにも言及します。
ひとつは原爆症など被爆による健康被害。頭髪が抜けたり、健康を害して仕事ができなかったり、重い病気を発病して死ぬことも。
「被爆のせいとは思いたくないけれど父も兄もガンで死んだ。自分も覚悟はしている」
そして、もうひとつの証言は、そんな被爆の体験や健康被害の苦しみを誰にも言えない被爆差別の苦しみです。
「被爆者は獣と一緒。ものをしゃべったらいけない」
「友達にも女房にも原爆のことを言わなかった。やけどのことを言わなかった」
差別の中、または差別を恐れて被爆を秘密にして被爆者は戦後を生きました。

そんな苦しみを残す核兵器なのに、核実験は続きました。現在も世界には15000発の核兵器が存在するといいます。
核兵器の恐怖は決して過去のものでなく、現在と未来のもの。生き残った被爆者は、若い世代へも問いかけます。
「核廃絶に向けて、過去、現在、未来に向けて話をしている。若い人に知恵を貸してほしい。これからあなたたちが何をしてくれるのか」
あの被爆の炎の中に、家族を置いて逃げるしかなかった証言者は言います。
「夕焼けを見ると、真っ赤な空を見ると今でも苦しくなる。私は夕焼けが大嫌いです。みなさんにはキノコ雲の下で何があったのかを知ってほしい。数字や人数じゃない。みんな命だったんです」

何万人が被害を受けたというと、その数の大きさにまず驚いてしまいます。しかし、「数字ではなく、ひとつひとつが命だったのだ」という言葉をきくと、本当に思いをはせるのは数字に数えられてしまったひとりひとりにかけがえのない人生があったことだと気づかされます。
そしてもうひとつ、
「戦争をすればあなたが死にますよ。被爆者としてはっきりいえる」
という、きわめて当たり前の警句が心に響きます。戦争は他人事ではなく、誰の身に降りかかってもおかしくないこと。その時死ぬのは「あなた(自分)自身」だということも、忘れてはならないことでしょう。

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▲原爆展の展示を企画したインターネットメディア「Omoroi堺」の藤岡雅人さん。DVDはOmoroi堺の映像製作チームが手掛けました。


広島と長崎。2つの原爆と、それによってもたらされたもの。今に続いているもの。これからの未来に向けて考えなければならないこと。それがコンパクトにまとめられているだけでなく、生き残った人々のそれぞれ他にはない証言の刻まれたDVDでした。これから原爆について知りたいという人にも、ある程度の知識をもっている人にも、おススメできる一本でした。そして、来年の堺原爆展には、さらに多くの方が足を運んでほしいと思います。


■堺原爆被害者の会(web
〒593-8322
堺市西区津久野町2-4-7
メール:info@sakai-genbaku.org

■Omoroi堺(web
お問合せ:090-3894-9162

■第9回堺原爆展(web
2017年7月22日(土)~23日(日)
堺市総合福祉会館
メイン会場:5階大会議室
ビデオ上映:6階ホール

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