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雑記帖 No.159

炎で海の神を暖める 奇祭やっさいほっさい(2)

後篇 月夜を焦がす炎の神事

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蛭子命(ヒルコノミコト)が流れ着いたとされる石津。石津太神社(いわつたじんじゃ)では毎年12月14日に、漂着した蛭子命を村人が108束の藁束を燃やして温めたという故事を起源とする泉州の奇祭「やっさいほっさい」が行われます。 
当日のお昼から2時間ほどの時間をかけて2800本の御神木をとんどに組み上げ、蛭子命が漂着したという石津川川岸の聖地お旅所へのお旅所祭もすませました(前篇)。あとは陽が沈むのを待つばかりです。 
 
 
■神事の前の奉納舞 
夕暮れの中、とんど場には屋台も姿を現してお祭り感が溢れてきました。とんどの周囲には、いつの間にか大勢のカメラ愛好家がぐるりと取り囲んでいます。 
「今年のとんどは高いなぁ」 
作業を終えた氏子の皆さんがとんどを見上げて呟きます。確かに資料で見た過去のとんどの写真に比べると、今年のとんどはスマートでまつぼっくりのような形をしています。

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▲神事を待つとんど場はすっかり陽が落ち、12月の夜空に。この日は明るい月のかかる夜でした。
 
 
そうして、完全に陽も落ちました。 
ぐんと冷込み、とんどに火が付くのも待ち遠しくなってきますが、神事が始まるのは20時から。その間、場を温めてくれたのは、地元のよさこいチームでした。 
奉納舞では「泉州音頭」などに加えて沖縄の「もうあしび」も踊っていました。よさこい自体がもともと高知生まれですから、色んなルーツのものが入り混じって、神道のお祭りが持つ懐の広さ、おおらかな一面が垣間見えた気がします。 
 
 
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▲神事の前によさこいの舞が3曲奉納されました。


■吉凶を占う火付け神事 

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▲火付け役が松明をもって登場。


20時に火付け神事がはじまりました。 
上半身裸の装束の若仲(若者)たちが姿を現しました。若仲たちが列をなし、社殿からとんどへ続く道を作ると灯りが消されます。これからは神事ですので、撮影もフラッシュは禁止。 
すると、社殿の方から赤い炎が見えました。篝火を手にした火付け役が姿を現したのです。火付け役が篝火でとんどに火をつけようとすると、一斉に若仲たちが取り囲み「やっさいほっさい」と声をあげ、手にした藁束で邪魔をするように火付け役を叩きます。 
しかし、火がとんどに移るのは一瞬でした。火で発光し、またたく間に炎はとんど全体を覆います。 

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▲とんどはまたたく間に炎の柱となりました。

 
夜空に火の粉が舞い、集まった多数の観客の熱気とも相まってとんど場の冷気も吹き飛びます。 
「崩れる時は、とんどは一気に崩れますのでお気を付けください」 
と、アナウンスが流れます。 
とんどが海のある西の方向に倒れれば大漁、逆方向の東に倒れれば豊作になる、吉凶占いにもなっているそうです。 
風はわずかに東から西へ吹いているのか、とんどの炎は西に向かっています。しばらくして、頂上にあった神木の一部が西側に転がり落ちてきました。 
炎は勢いを増し、炎の中に黒くシルエットを刻むとんど自らを燃やし尽くそうとしています。 
周囲を囲む若仲たちから「やっさいほっさい」の掛け声があがり、観客もそれに和します。 

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▲倒れる寸前のとんど。

 
崩壊も一瞬でした。がっしりとしたとんどがついに炎をまとったまま倒壊したのです。とんどを取り囲んでいた観客の人垣は、一瞬大きく後退します。崩れた方角は「西」。来年は大漁だと戎さまのお告げです。 
数時間かけて組み上げたとんどが倒れるまでかかった時間は、わずか5分か10分でした。 
こうしてとんどは崩れましたが、小山のようになった御神木はまだまだ炎を上げ続けています。 
まさか、このままでは炎の上を歩くわけには行きません。続いて、神事の第2章である火伏せ神事が始まるのです。
 
 
■火伏せ神事と火渡り神事 

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▲二本の長い竹を使って火伏せを行います。


炎を中心にしたとんど場は、すっかり人に埋め尽くされていましたが、地元の方だけでなく、海外からのお客様も多数こられているようでした。英語や中国語でも、驚きの感想を口にする姿が見受けられました。 
とんどの火が落ち着いてくると、10mほどはある長い竹が二本運ばれてきます。 
二本の竹を向かい合わせてとんどの中につきいれると、前後に押し引きしてとんどの山を突き崩しはじめました。まだ燃えているとんどからは、火の粉と灰が盛大に舞い上がります。この竹入れで、とんどの神木を砕き、小さな炭の塊にしていくのです。 
火が落ち着いてくると、宮司さんが介添えとともに現れ、火伏せ神事の祝詞をあげます。 

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▲肝心の戎さまの火渡りのシャッターチャンスを逃してしまったので、若仲の火渡りショット。

 
時刻は21時近くになっていました。いよいよ火渡り神事が始まります。 
本殿から、戎(山伏ともいわれる)となった神人が3人の介添えに抱えられて登場します。これは、自らの足で立つことが出来なかった蛭子命を表しています。 
火渡りを間近で見ようと観客の輪がぐっと狭まりました。
竹入れで火が伏せられたとはいえ、とんどの跡はまだ明々と炎がくすぶり続けています。 その中を「やっさいほっさい」の掛け声とともに戎と介添えたちの火渡りが三度繰り返されました。白装束の男たちが突入すると、置き火から噴火のような火の粉と黒い灰が舞い上がりました。 
戎の火渡りに続いて、若仲たちも火渡りに挑んでいきます。 

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▲石津太神社の周囲を抱えられた戎さまが三周します。

 
戎はその後抱えられたまま、若仲たちを後に従え、「やっさいほっさい」と声をあげながら神社の周囲を三度回ります。これが全ての神事のハイライトでした。 
 
その後、観客たちが列をなして、火渡りにチャレンジしていきます。 
事前に、 
「持ち物を落とさないように気をつけてください。毎年スマホなどを落とされる方がいますが、(熱で)原型をとどめていません」 
と、アナウンスされていたのですが、さっそく落とされた方がいたようです。 
不幸中の幸いなのか、アナウンスによると、 
「原型をとどめて発見されました」 
とのことでした。 
 
その後、観客たちはお神酒や肴の「お和え(おあえ)」をいただいたり、一仕事を終え晴れ晴れとした表情の若仲と記念撮影をしたりしています。 

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▲観客も次々と火渡りに挑みます。
 
 
この日は満月の前夜の大きい月が空にかかっていました。 
やっさいほっさいの頃合いは一年で最も陽の短くなる冬至を控えています。火渡りは通過儀礼(イニシエーション)の類型のようで、全体的に古い時代の「死と再生」を感じさせるお祭りでした。それが現在は、厄落とし無病息災への祈りとして取り入れられ、地域住人の協働によって執り行われるばかりか、子どもから大人までが楽しむよさこいの披露の場となり、諸外国の観光客をも引き付けるお祭りとなっている。
泉州の奇祭「やっさいほっさい」は、奇祭というだけでなく、地域に息づく魅力的なお祭りでした。 これからも伝統に新しいものを加味しながら続いていくお祭りとして、これからもずっと受け継がれていくことでしょう。 

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