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雑記帖 No.139

木津川千年物語(5)世界を結ぶお茶

山城エリア 上狛

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堺出身の僧・行基の足跡が色濃く残る「行基のまち」として訪れた京都府木津川市。その探訪を続けるうちに行基だけでなく、堺と響きあうキーワードが幾つもあることに気づくようになりました。
今回は、山城エリアの中でも歴史的な景観が残る上狛地区の環濠集落の歴史散策からスタートです。案内は、地域史研究家の中津川敬朗さん、木津川市職員の西谷昌豊さん、観光協会の渡辺紀子さんです。


■環濠集落の路地から
上狛駅を降りるとお茶の香りが漂います。駅前の通りはレトロな建物が軒を連ね、人通りの少ないまちは時間がゆっくりと流れているかのようです。上狛(かみこま)だけでなく、木津川の下流には下狛という地もあり、もともと大狛と呼ばれていました。近くには6世紀末に創建されたという「高麗寺(こまでら)跡」があることからも、ここには朝鮮半島北部にあった高句麗国からの渡来人・高麗氏(こまし)が住んでいたのだと思われます。
高麗氏は高度な技術を持っていたのでしょう。聖武天皇や行基が恭仁京を開き、大仏を建立した時にも彼らの技術は頼られたはずです。この高麗寺は鎌倉時代までは存在したようです。
中世になって、入れ替わるようにしてこの環濠を根城とした国人(地侍)の狛氏(こまし)が登場します。狛氏は高麗氏の子孫という説もあるようですが、地域史研究家の中津川さんは、両者の直接の関係はなく中世の狛氏は「狛」という地名から「狛氏」を名乗ったという説をとっておられました。
この狛氏が歴史上で名をはせたのが「山城国一揆」で、まさにこの環濠集落がその舞台だったのです。

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▲環濠集落と外をつなぐ口に立つ、中津川さん、西谷さん、渡辺さん。

集落を囲んでいた環濠は、今も一部が残っています。一見すると農業水路のように見えます。
「江戸時代はもっと環濠の幅は広くて5~6mはありました。中ノ門口、井ノ坂口など環濠には8つの門があり、今でも生活道路として使われています」
集落内から外へ出るための限られた出入り口となっているため、現在も往来は少なくありません。
「戦争の時代には、自らまちに火をつけて住民が逃亡したこともあったようです。その際には毎回逃げる先も決まっていたみたいですね」
都(京都)と南都(奈良)を結ぶ街道と木津川が交わる交通の要衝である上狛など南山城は戦場になりやすく、戦争は日常だったのですね。応仁の乱以後も戦乱は続き、そんな状況に耐えかねて、ついに国人や農民たちが団結して立ち上がったのが山城国一揆です。

上狛の古い町並みは中世に由来し、近世に町割りされた堺よりも、さらに町割りの様式が古く神さびている印象がするのは気のせいでしょうか。

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▲上狛集落の中心あたり。


■国一揆の拠点・西福寺
細い路地を縫うようにして、たどり着いたお寺は西福寺。浄土宗のお寺で、狛氏の菩提寺です。
「このお寺で、国一揆の集会も行われていたんですよ」
36人の国人が選ばれて団結し、参加者が牛玉宝印という紙の護符を灰にして飲む儀式も行われました。この一揆には、国人だけでなく農民も参加し、国一揆というよりは惣一揆であったようです。
彼らは団結して、河内や大和からやってきた侍の軍勢と交渉し、礼金を払うことで軍勢を撤退させる条件を飲ませたのでした。
「礼金を何千貫文とだしている。軍勢の中で『あそこはもらったのに、うちはもらってない』とトラブルになった記録が残っているので、金額がわかるんです」
国人や農民が権力を跳ね返し自治を行った山城国一揆は、信長などとやりあった自治都市堺から見てもシンパシーを感じてしまうのですが、一揆を維持するのは大変だったようです。山城国一揆は8年間続きましたが、国人同士の対立、国人と農民の対立もあって終わりを迎えたのでした。

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▲西福寺の本堂。ここで国人たちが集まり国一揆の集会を行った。


西福寺では、お約束をしていなかったのに住職の西本明央さんにもお会いすることが出来ました。
「この西福寺も行基開基のお寺と伝わっているんです。浄土宗が江戸時代にまとめた『増上寺資料』に、西福寺が行基開基が記載されているんです」

行基開基と伝わるお寺は、行基の業績をまとめた「行基年譜」に記載された四十九院が確かなものですが、それ以外にも日本各地に数多くあります。明治時代になって仏教が迫害された廃仏毀釈の中で、行基との縁を主張して廃寺を免れようとしたお寺も多かったのだそうです。
史実でなかったとしても、行基という名前が江戸時代も明治時代も長い時代を通じて特別なものだと人々に受け取られていたことが伺えます。

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▲右端から重職の西本明央さん。前住職。中津川さん。


狛氏はその後織田信長に仕えるのですが、信長が本能寺の変で暗殺されて後は土着化していき、江戸時代には存続した織田家に仕えたともいわれています。

安土桃山、そして江戸時代には、偶然なのかお茶に縁の深い二人の大名・古田織部と藤堂高虎がこの地を統治します。日本におけるお茶栽培や製法の発展に、この地域が重要な役割をはたしてきたことは、前回の記事で報告しましたが、お茶文化の面でも貢献しています。プレ茶の湯、プレ茶道ともいうべき、その文化は、実は今に残っているのです。
「茶香服(ちゃかぶき)」という遊戯がそれです。


■闘う茶 茶香服を知る
宋から伝わった闘茶(とうちゃ)から生まれた茶香服(ちゃかぶき)が14世紀の中頃の南北朝時代に流行しました。茶香服は茶歌舞伎とも書き、一説には歌舞伎の名称はここからきたとも。
茶香服がその後茶の湯、そして茶道へとつながっていくのですが、闘茶の名の通り、茶香服はお茶の勝負、闘いです。賭け事でもあり、つい最近まで「家や嫁を質に入れても」茶香服に夢中になる人もいたとか。遊戯というよりも、闘いというべき茶香服。実は、今でも全国大会が開催されているそうです。

日を改め、茶香服の実践者と会いに京都府立木津高校を訪ねました。木津高校はかつては茶業科があった唯一の高校で、今に残る製茶工場と茶園が日本遺産に認定されています。

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▲木津高校の吉田浩実先生。

茶香服について説明してくださったのは吉田浩実先生。
「本格的に茶香服をしようとすると、1回の競技に2時間から3時間はかかります。通常は玉露2種類、煎茶3種類の5種類のお茶を使用します」
競技に先立って、使用するお茶の茶葉を10分程度回覧して予備審査を行います。5種類のお茶は「花」「鳥」「風」「月」「客」の文字があてられます。競技では、ブラインドで出されたお茶がどれなのかを一杯ごとに他の競技者に見えないようにして札かシールで投票していきます。1回につき5種類5煎服するのを4回続け、一つ合うと1点で合計20点で勝敗を競うのです。
たとえば、ある時の試合では、
「花」=「田辺玉露」
「鳥」=「八女玉露」
「風」=「学校かぶせ茶」(木津高校で作っているかぶせ茶)
「月」=「静岡煎茶」
「客」=「鹿児島煎茶」
の5種類で競技を行いました。
さすがに産地をあてるような高度な判別は初心者には難しく、茶香服体験では「玉露」「碾茶」「煎茶」「番茶」「紅茶」の5種類で行ったりするのですが、それでもなかなか当たらないのだそうです
お酒などと比べても、お茶のうまみ成分は少なく、味わいは微妙なものです。その味わいを判別するなんて、とんでもない舌の繊細さが必要ではないでしょうか。
「玄人になると競技の時に飲まないんですよ。舌にえぐみが残ってしまうから」
香りや色、そして液体の中に浮かんでいるかすかなものなどで判断していくのだそうです。

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▲茶香服(ちゃかぶき)で投票に使用する。


この日、木津高校に案内してくれた李さんの息子さんは木津高校の卒業生で、在学当時「茶香服」に熱中していたのだそうです。
「試合のあった日は、『全然あたらんかった、悔しい!』って落ち込んだり、『今日は調子よかった!』と喜んだり大変です」

そんな風に、人々が夢中になる遊戯・競技から、コミュニケーションの場としての色彩を強め、芸術空間として発達していったのが千利休が大成させた「茶の湯」です。
そして偶然なのか、利休七哲といわれた七人の高弟の中でも、一際人気の高い古田織部がこの一帯を所領としていました。人気コミックにもなり「ひょうげもの」(剽軽者)で知られる織部は師とは全く違う茶風を確立しました。そして師と同じ反骨精神からか、大坂の陣のあと内通が疑われ切腹して果てるのです。

その後、南山城を所領としてのは、家康お気に入りの外様大名藤堂高虎でした。何度も主君を変えたことから悪漢のイメージも強い高虎ですが、織部との親交も深く、娘婿には茶道遠州流の小堀遠州がいたりと、お茶とのかかわりも浅からぬ大名でした。
江戸時代の南山城は、藤堂家の津藩や幕府領・天皇領として治められ、庶民の飲み物である煎茶製法や高価な玉露などを生み出していきます。

次回は、このお茶と世界史の係わりについて探訪します。




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