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雑記帖 No.135

夢は追うことに意味がある

わらび座「奇想天外歌舞音曲劇げんない」

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「土用の丑の日」にはウナギを食べる。この誰もが知る習慣を作り出したのは、江戸時代に生きた1人の風変りな男でした。その男とは平賀源内。発明家としての印象が強いかもしれませんが、博物学者、作家、陶芸家、画家と万能の天才だったのです。
この男を主役にしたお芝居が作られました。題して「奇想天外歌舞音曲劇げんない」、演じるのは秋田県に本拠地を置く劇団「わらび座」です。
「わらび座」はかつて堺出身のキリシタン武将小西行長の養女を主人公にした「ジュリアおたあ」を堺で上演した時に、つーる・ど・堺で取材をしたご縁があり、今回の公演についてもお話を伺うことができました。

「げんない」の初演は2013年、愛媛県の「坊ちゃん劇場」でした。2016年の全国公演では1800人入る大阪NHKホールの昼夜二回公演が売り切れるほどの人気でした。この作品の作・演出は、大人気漫画・アニメを舞台にしたスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」を手掛けた横内謙介さん。
現在堺市民会館は建て替え中であることもあり、南区の国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)が会場となりました。


■100年早く生まれた男の物語
夕刻、泉北高速「泉ヶ丘」駅から、駅直結でビッグ・アイへ。この一般公演の前には、堺市内の学生さんを招待しての公演もおこなっていたそうです。
開演の少し前になって、お客様が座席につきはじめたころ、客席に奇妙な衣装を着た姿が登場しました。ピエロです。ピエロは客席で、愛想をふりまき子供たちとコミュニケーションをとったりしています。なぜピエロが出てくるのかというと、それは作品の舞台と関係しています。

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▲道化師の中でも涙の描かれたピエロは悲しみを背負った存在。元来は風刺劇に登場する。


そうこうしているうちに幕が上がり、物語が始まりました。
時は江戸時代、田沼意次が老中として権勢をふるった頃の話です。歴史上の田沼は、旗本から大名に出世し、老中として大改革で経済を立て直しますが、賄賂が横行し、ついには失脚してしまう人物です。お話では、田沼に賄賂として贈られた少女お千世が逃げ出し、平賀源内の率いる旅芸人の一座にかくまわれたことが発端となります。

源内一座は、河原など法律が及ばない場所(アジール)をゆききする河原ものたちの集まりでした。アジールとは、たとえば縁切り寺・駆け込み寺のことであり、その安全域に逃げ込んだものには法が及ばない。その代わりにスティグマ(特別な傷・印)として異形を引き受けるのか、あるいは異形ゆえに法外の地に放逐されるのか、源内一座には源内を筆頭にオナラ芸人など異形異様のものたちが集まっています。千世も、男装の「千世之助」として異形と引き換えに安全を得ます。

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▲源内一座には異形の「河原もの」たちが集っていた。

はたして一座を率いる源内とはどんな人物なのか。源内は大きな夢をもって、脱藩して故郷から江戸へ来た男。科学知識や文学的才能にあふれ、あふれでる創作意欲でエレキテルなどの発明を行い、日本発の物産展(博覧会)などのイベントを開催し、事業を立ち上げます。中には失敗したものもあり、秩父の鉱山開発は田沼意次に支援を打ち切られたこともあって大失敗し5000両もの借金を背負うことになります。ざっくり1両10万円とすれば、源内は5億円にもなる借金を抱えたのでした。
源内は一座でエレキテルの見世物をすることで返済しようとしています。しかし、エレキテルで生み出せる電気の光はかすかなもので、すっかり江戸の人々には飽きられてしまいました。
「これだって大変なんだぞ」
源内の強がりのような言葉には、結果だけを見て、その背後にある自然法則を解き明かした科学的な知性と、自然を人工的に再現した工学技術の融合がどれほど偉大で価値のあることかを人々が理解しないことへの嘆きが込められているようです。

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▲歌う平賀源内は、三重野葵さんが演じる。

借金まみれでも夢をあきらめない源内は友人で「解体新書」を世に問うた杉田玄白に更なる借金を願いますが、その時にも
「借金ってのは、返す気持ちが大切なんだ」
と、玄白を教え諭す始末で、どちらが頭を下げる立場なのか、源内の中では世間の常識とは逆さまになっているようです。

しかし、大切なのは成功することではなく、まして金儲けなんかではない。夢を追い続けることそのものなのだと、源内は語り行動しているのです。源内一座には、そんな源内の生き方に魅せられたものたちが集まっており、たとえば千世を助けた吉次郎は源内から西洋画法を学び絵師になりたいという夢を抱いています。彼らと接するうちに貧しい百姓の親に売られた娘だった千世も、自分自身も夢を見ていいのではないかと思うようになります。

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▲男装の「千世之介」。

物語は、源内と田沼の協調と対立関係を底流に、吉次郎と千世のロマンスをドラマをけん引車にして、二つの旋律を絡めながら進みます。「起」「承」のパートでは以上のように語られ、「転」では源内と田沼の和解から「日本大辞典」の発起と「千世」の解放、そこからの一転が起こり、怒涛の勢いで「結」へと流れ込みます。

演出上の見どころとしては、源内も複数のペンネームで作品を書いたという「浄瑠璃」を取り入れた演出でしょう。ドラマ展開も古典的なシーンなだけに、演出上の相性もいい上に、現代的な演劇表現が続いていた中では良いアクセントともなっていました。
古典的というのは、普遍性を帯びていることでもあります。身売りをする女性の悲劇は、子供の6人に1人が貧困状態でブラック企業が蔓延する2010年代の日本に生きる私たちにとって、あまりにも身近な悲劇です。このお芝居を観た子供たちや大人たちの中にも、人生を売って夢をあきらめる状況と将来出会うか、すでに出会っているひとが少なからずいることでしょう。

「夢は、追うことに意味がある!!」
このキャッチコピーは、決して叶った夢ばかりでない。むしろ叶わなかった夢ばかりだった源内という人物を通じて語られるからこそ、観るものの心を打つのかもしれません。


■アートの役割
「夢を追うもの」を描く物語は、甘くないビターな結末を迎えます。ビターでありながらも、同時に辛い現実を突破するような姿を見せることで、力強いメッセージを訴える作品でもありました。

終演後のロビーでは、挨拶に現れた役者さんをお客さんたちが囲んでいました。その表情は、観劇体験に満足した笑顔に満ちていました。
人波が落ち着いてから、主役の源内を演じた三重野葵さんにお話を伺うことが出来ました。
――今日の公演を終えての感想はいかがですか?
三重野「お客様がウェルカムで、全てを受け入れてくれる感じがしました。舞台が近いこともあって一体感を感じました」
――お芝居は旅一座の物語でしたが、役者さんとして共感したセリフなどはありましたか?
三重野「『未来ってのは、明るく進むだけじゃねえ。半分は暗闇に向かって行くんだよ。』から続くセリフがあります。練習をすすめるうちに、時間調整でセリフをカットしなきゃいけない時があるんですが、この後のセリフをカットしようということになったんですが、どうしても残したくて演出家の横内さんにお願いしたら「いいよ」と」
そのセリフとは、
「過去は捨てろ。栄光も財産も。そんなものにしがみついたら、もう先には進めん。まだ足りねえよ。この沼が濁ってるうちに、オレたちは撒けるだけの種を撒ききっておかなきゃいけねえ。科学も思想も芸術も。たとえ暗闇の時代が来ても、その中のいくつかが花開くように......暗闇と闘ってやる」
というクライマックスのセリフのことです。
三重野「このセリフを半分は源内が言っているけど、半分は三重野葵が言っている。そんな気持ちで演じていました」
――現実も厳しい時代で、アートやアーティストの役割が大きくなっているように感じます。
三重野「そうですね。私も舞台人としてやるべきことがあるように思っています」

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▲フェニーチェ堺の完成模型と三重野葵さん。ぜひフェニーチェ堺でも「わらび座」のお芝居を!


お話を伺って、ここにも舞台人として夢を追う人がいたのだと思わされました。
堺では、堺市民会館の建て替えもあって、ますます舞台芸術と接する機会が減っています。堺を芸術不毛地帯にしないためにも、新しい市民会館「フェニーチェ堺」が建つまでの間何もしないというわけにはいかないでしょう。続けなければ物事はすでに途絶えてしまいます。「暗闇でも撒けるだけの種は撒く」というのは、この「奇想天外歌舞音曲劇げんない」の公演そのもののことだったかもしれません。
「わらび座」や関係者のみなさんも、また現代の源内として行動したのだと、敬意を表したいと思います。

(撮影:渕上哲也 トップ画像の写真提供「わらび座」)


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