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雑記帖 No.128

堺で知る原爆と被爆者の今~「堺原爆展」(1)

第9回堺原爆展~かたりつぐ~記者会見から

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1945年8月6日、核兵器の戦争でのはじめての使用。
1945年8月9日、核兵器の二度目の使用。
二つの核兵器は、広島と長崎二つのまちを焼き、数十万人の死者と負傷者を生みました。
以後、戦争で核兵器は使用されていませんが、はたしてこれが最後の核兵器の使用になるのでしょうか。

72年が過ぎた夏。堺市で第9回原爆展が開催されます。主催は「堺原爆被害者の会」と「堺原爆被害者2世の会」。広島・長崎から離れた大阪の堺で原爆被害者の会があるのはなぜか、少し不思議に感じます。......そしてどうして原爆展が開催されることになったのか。
まずは、7月14日に堺市役所で行われた記者会見での当事者の言葉に耳を傾けてみましょう。


■341人の堺原爆被害者の会
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▲2017年7月14日に堺市役所内で行われた記者会見。むかって左から片岡文子さん(堺原爆被害者二世の会副会長)、中谷好文さん(堺原爆被害者の会会長)、藤岡雅人さん、藤井万寿美さん(共にomoroi堺)


堺市役所のプレスルーム。
記者たちを前に、堺原爆被害者の会(堺広長会)の会長・中谷好文さんは、会の目的と堺原爆展の趣旨を簡潔に述べました。
「核兵器の使用を2度と繰り返して欲しくない。被害者を作り出して欲しくない。容易に解決できるテーマではないけれど、国民の多数にテーマを理解してもらえれば、政治は変わっていくであろう。その啓発活動として堺原爆展を始めました。今年が第9回になります。これまでは自分たちで企画して取り組んできましたが、外からの目で悪いところを改めたいと、今回は(インターネットメディアの)『omoroi堺』に協力してもらって取り組みました。被害者の会も、平均年齢は80才を越え、活動できるのもあとわずか。被爆者が活動できなくなっても、平和な世の中を訴えたいということで、(原爆についての)DVDを作って今回の原爆展でお披露目をします」
あまり知られていないことですが、現在堺市には被爆者健康手帳を持つ人が500名ほどいます。500名がどういう理由で堺にいるのかという、記者の質問に中谷さんは具体的に答えました。
「当時軍隊に徴兵されて堺から(広島・長崎へ)行った人は私が知る限り5人います。看護婦さんが日赤に招集されて被爆した人、徴用で長崎の三菱造船へ行って被爆した人、また戦後就職してこちらへ来た人もいます」
広島や長崎から遠く離れた堺に被爆者が多数いるのは個々の理由があってのことでした。戦後70年以上たち、高齢のため施設に入ったり、寝たきりの人もいて、500名のうちの341名が現在「堺原爆被害者の会」の会員です。全国的にも会員は減少傾向にあり、団体そのものが消滅してしまった所もあります。
「大阪市では区単位で原爆被害者の会があります。堺でも区単位でという話が出たこともあるんですが、小さくすることに抵抗があって、堺はひとつでやっていくんやと。結局分割することをしなかったので、現在持ちこたえることができたんだと思います」
大阪府では昨年42団体あった原爆被害者の会が、今年は35団体にまで減少してしまいました。

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▲堺原爆被害者の会会長中谷好文さん。長崎で被爆した時は生後4か月未満でした。


核兵器の使用を2度と繰り返してほしくない。原爆被害者を2度と作り出してほしくない。この願いも、被害の記憶も、被爆者がいなくなれば無くなってしまうのか......そのことを考える時に、注目しておきたい名前があります。それは中谷さんの名刺に書かれた会のもう一つの名前「堺広長会」です。


■もう一つの名前「堺広長会」
昭和40年に堺原爆被害者の会は誕生しました。
しかし、会員の中からこんな声があがったのだといいます。
「堺原爆被害者の会として家に郵便物を送ってくれるなという声が多かったんです。電話もかけてくれるなと。特に女性から言われました。だから、広島と長崎から一字ずつとって堺広長会という名前を使うようになったんです」
放射能が移るといった原爆被害者に対する差別がその原因でした。
「被爆者差別は30年ぐらい前にはありました。最近は表面だっては聞かなくなっていますが、まだ一部には残っている可能性はあると思います」
本当に差別は無くなったと言えるのか。ただ、堺広長会という名前が、現在でも使い続けられていることは、ひとつの回答といえるのではないでしょうか。

記者会見に同席した「omoroi堺」の藤岡雅人さんも、取材をする中で原爆被害者と他の戦争被害者との違いを感じることが多いと言います。
「普通なら親から戦争体験を聞いている二世の方が多いのですが、原爆被害者二世の場合は親から聞かされていない方がすごく多い」
今も差別されたという記憶は残り、子供にも配偶者にも原爆被害者であることを告げていない会員も少なくないのだそうです。

原爆被害者の会の存在が知られていないとしたら、それは原爆被害者の会が持つ問題というよりは、被害者を取り巻く周囲の問題がまずあるといえそうです。

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▲omoroi堺の藤岡雅人さん。中谷会長の熱い想いに打たれてDVD制作と堺原爆展の開催に協力しました。


そして原爆被害が被爆被害である故に感じる不安があります。中谷さんは、原爆被害者の心情について、こんな例をあげました。
「(差別という)テーマからは外れるかもしれませんが、先日会員からこんな電話がありました。会から二世の方に案内を送ったのですが、それに対して一世から電話があったのです。二世が先に逝ってしまったと。その方は被爆しているから、その影響があったんじゃないかと気にしている。関係があったのか、なかったのかはわかりません。でも、ご本人はあったんじゃないかと気にしているんです。そういうことが現実にあるんです」

原爆被害者二世の会副会長の片岡文子さんは、このことについて二世としての心情を語ります。
「子供に影響があるとは思えなくても、もし自分が早死にしたら、親が自分のせいだと思わなくてはいけないのが被爆者の現状です。孫が結婚する時には、おじいちゃんが被爆者であることを話したりしに行かなければならないのかな? と悩みます。被爆二世やからという不安を持ち続ける。何もなかったら気にせずにいられたのを、気にしなければならない」
片岡さんの言葉に、中谷さんはうなずきます。
「それなんや。気にし続けなければならない。それが本質なんや」

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▲堺原爆被害者二世の会副会長の片岡文子さん。父・白川豊昭さんは、18才の時に長崎から10km離れた造船所で働いていましたが、被爆地に救援に向かい入市被爆しました。

差別と消えない不安、語り継ぐことにとてつもない苦しさを感じながら、それでも中谷さんや片岡さんらは、9回目の堺原爆展を開催することにしました。今回開催に協力したomoroi堺から、その内容についての説明がありました。


■記憶を受け継いでいく
第9回堺原爆展は、7月22日と23日に堺東の堺市総合福祉会館にて開催されます。
「22日は福祉会館の6階大ホールでDVDの上映会と、趣旨に賛同してくださったクラリネット奏者の稲本渡さんのプロデュースでピースフルコンサートを開催します」
DVDのタイトルは「~かたりつぐ~ ヒロシマ・ナガサキ1945」。
「福祉会館の5階は展示会場で、DVDのストーリーに沿った展示を行います。子供たちにもわかりやすくするために、係員の説明やワークショップも行います。また、今年の特色としては、市民の皆さんから絵と写真であなたにとっての平和と大切なものを募集しました。自分がイメージする大切な物。それが一瞬にして破壊されるのが原爆の被害なのです」

DVDの製作もomoroi堺によるものです。
「私たち(omoroi堺)もそうでしたが、堺に原爆被害者の会があることすら知られていない現状があります。会の宣伝ツールとして使っていきたいとも思いDVDを製作しました。学校や図書館など、公的なところでも見ていただこうと、学校も回らせていただきました。小学生対象には長いのではないかとも言われたのですが、まずは若い先生の学習に使っていただけそうです」
一般への販売は、事情があって特別な形になります。
「『販売目的でないのなら』というお約束で提供していただいた資料もありますので、販売はしていません。なので協賛していただいた方に、お礼としてお渡しするという形をとっています」

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▲堺原爆展のポスターを手にアピール。コンサートやワークショップなど、子供から大人まで様々な角度で原爆について知ることができるよう工夫しました。


この記者会見でどうしても聞いておきたいことがありました。それは、2017年7月7日に、国連で採択された核兵器禁止条約に戦争被爆国である日本が参加しなかったことについてどう思うかということでした。
「それは簡単には解決しないテーマです。一つの例として、今は自民党支持が多いから安倍さんが政権をとっている。しかし、どの党であっても、悲惨な被害を繰り返したくないという人が増えれば有権者の意見を聞かなければならなくなってくるはずと思っています。すぐに出来るテーマではないが諦めたくない。平和な世の中を維持していきたい」
これは裏返せば、唯一の戦争被爆国でありながら、被害を繰り返したくないという思いが、日本の多くで共有されていないということでしょう。むしろ「堺広長会」という名前の存在が明らかにしているように、不理解と差別が原爆被害者の周囲を取り巻いているのです。
しかし、中谷さんは「諦めたくない」と言います。中谷さんにとっては今更の事なのかもしれません。後編では、そんな環境にあった中谷さんと片岡さんお二人の個人と家族の歴史について伺いました。

(後篇へ)


■堺原爆被害者の会(web
〒593-8322
堺市西区津久野町2-4-7
メール:info@sakai-genbaku.org

■omoroi堺(web
お問合せ:090-3894-9162

■第9回堺原爆展(web
2017年7月22日(土)~23日(日)
堺市総合福祉会館
メイン会場:5階大会議室
ビデオ上映:6階ホール

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