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雑記帖 No.126

白鳥の軌跡を追って~大鳥大社~2

白鳥再生へ

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日本武尊と大鳥連祖神を祀った大鳥大社は、10世紀前半の延喜式神名帳にも「和泉一宮」として記載される式内社。境内には行基開基の神鳳寺もある神仏習合の聖地でしたが、その状況は明治時代に入って一変します。(→前編


■近代~神仏分離

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▲絵馬堂に残る「大鳥山」の額は、かつてあった行基開基の大鳥山勧学院神鳳寺のものでしょう。

時代が明治に移るころ発令された「神仏分離令」によって、神道と仏教、神と仏、神社と寺院を区別・分離する方針が明治政府から示されたのです。
「本来は神仏分離であったのが、仏教が迫害される廃仏毀釈になってしまったのです。たしか堺区の開口神社さんも、大寺さんと呼ばれていましたが、お寺は無くなってしまいましたよね」
開口神社と同様、大鳥大社から神鳳寺の施設は本堂も、大きな五重塔もすべて無くなってしまいます。それだけでなく、貴重な文献もすべて散逸してしまったのだそうです。
「現在、大鳥大社には過去の資料が一切残っていません。神鳳寺の僧侶たちが持って行ったのかもしれませんが、どのように資料がなくなったかさえわかりません。住吉大社だと貴重な資料が『住吉御文庫』として残っているのですが......」
大鳥大社の禰宜を務める水無瀬さんが、大鳥大社の歴史について語る時、どうしても歯切れが悪くなってしまうのは、大鳥大社外に残る資料からそれを語らなければならないからでした。


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▲水無瀬忠俊さん。このスペースは現在は野外のお茶会などに使われていますが、もともとは神鳳寺の施設があったのではないかと思われています。

一方で、神宮寺が無くなった大鳥大社は、明治4年になると近代社格制度の中で、最上級である官幣大社に格付けされます。これは全国でも28社だけがえらばれたものです。
「大鳥大社は皇室とも関係がある由緒が認められたのです。官幣大社の下には、官幣中社、小社があります。また国幣大社、中社、小社もあります」
これで大鳥大社は順風満帆となったのかというと、そうではありませんでした。

明治29年に神社の祭神を調べる祭神考証が行われ、学者の調査によって大鳥大社が日本武尊を祀ることに異議が唱えられたというのです。
「地域の人はずっと昔から日本武尊を大切にお祀りしてきたはずなのですが、学者は大鳥連祖神だけだとしたのです。これも謂れがあるだけで、廃仏毀釈で証明する資料がすべて無くなってしまっていたせいもあったかもしれません」
この「日本武尊外し」は長く続き、日本武尊が祭神に復活したのは、ようやく戦後の昭和36年になってからでした。
「昭和36年にお許しが出て、翌昭和37年の3月15日に増祀記念大祭が行われたのです」
こうして大鳥大社はようやく念願の形になります。




■やすらぎの神社を目指して
水無瀬さんの役職は禰宜(ねぎ)です。これは宮司の下の役職ですが、本来は神社に一人ずつ宮司がいるものなのだそうです。今、大鳥大社の宮司さんは、和泉市にある泉井上神社の田所宮司が特任宮司として兼任されているのだそうです。
「今、常駐でいるのは私です。大きな行事がある時に田所宮司が来られる形です」
神社庁の重職も務めておられる田所宮司はなかなか多忙なためということですが、この変則的な体制になっているのは、前の宮司さんが突然辞め、急きょ水無瀬さんに白羽の矢がたったからでした。
「前の宮司さんは、病気をされていたということもあったようですが......」

水無瀬さんは、北摂の島本町にある水無瀬神社で宮司をされている家系の次男でした。
「今は長男が宮司を継いでいます。明治時代になって宮司の世襲制度は問題があると廃止になったのですが、地域の方からどうしてもこの家でなければという神社もいくつかあったんです」
そういう家系だったこともあって、水無瀬さんは神戸の生田神社や大阪天満宮で神職についていました。そんな水無瀬さんでしたが、急きょ大鳥大社の禰宜を引き受けるのは悩んだといいます。
「私にそんな重責が務まるだろうかと思いましたよ」
しかし、2016年の9月に水無瀬さんは大鳥大社に着任しました。

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▲堺の歌人・与謝野晶子の歌碑。晶子の本名は「鳳志よう」といい、大鳥大社には思い入れがあったのでしょう。歌碑の筆は作家・田辺聖子氏のもの。


前の宮司さんの時は地域と神社の交流は少なめで、宮司さんがお辞めになられた2016年は「花摘み祭り」も開催することが出来なかったそうです。
「今年は『花摘み祭り』を開催することが出来たのですが、それまで全部宮司さんが取り仕切っていたので、総代さんお祭りの段取りがわからなくて困ったんです。でも『よそから来たばかりの禰宜さんに任せるわけにはいかない』と、皆頑張ってくれたんです。はじめての手作りの祭りになって、それは総代さんの熱の入れ方も違いました」
大きなお祭りで、稚児さんも44名になったとか。
「1人の稚児さんに家族が5人いるとしてもすごい数です。お祭りの警備や交通整理など、人的な奉仕はすごいものになりました」

地元西区で活躍する写真クラブ「わいわい写真クラブ」も協力を申し出てくれました。
「お祭りの写真を撮ってくださるということで本当にありがたかった。今はメディアで取材を受けても写真を提供してくださいと言われるでしょう。しかし、最近の写真がどこにもない。一番新しい写真でも平成一けた台のものだったのですから」
独自のwebサイトも「わいわい写真クラブ」の協力があって立ち上げることができました。


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▲日本武尊の魂の化身白い鳥が降り立った時に、一夜にして生い茂った「千種の森」。日本武尊の最後の地であったことは、鳳の人々にとって誇りだった。

これからどんな神社にしたいのですか? という質問に水無瀬さんはこう答えました。
「安らぎや、勇気、誓いを与えられる場にしたい。私はよく言うのですが、まだまだ世界には飢餓に苦しむ国がある中、平和な日本に生まれたことに感謝して、神社はお願いするばっかりの場ではなく、誓いの場にも使ってほしい。私もこれだけのことをしますからと、そのあとにお願いがあったらしてもらったらと」
神社は本来地域の中心としてあるものですから、地域の方とのかかわりは特に力を入れたいところです。
「皆が気持ちいいなと心が休まるところにしたいですね。決まりきった時でなく、何かの時に来ていただいて。顔を見せに来ていただきたいし、こちらの相談にも乗っていただきたい」
これまでの経緯もあって大鳥大社には地域の方との協力は不可欠でしょう。しかし、このおかげで歴史も由緒もある神社が地域の開かれた資産になる。そんな契機になるかもしれませんね。


扉写真:「根上がりの大楠」は樹齢数百年になる楠。長い年月大鳥大社の移り変わりを見守ってきた。

大鳥大社
堺市西区鳳北町1丁 西区鳳北町1丁1ー2
TEL 072-262-0040
御祈祷受付9:00~16:30(予約不要)

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