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雑記帖 No.123

大和川の今(2) ~若い世代との邂逅~

大和川水環境交流会

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大和川を臨むイオンモール堺鉄砲町内のイオンホールの敷地は、以前はダイセルの化学工場でした。1908年(当時は堺セルロイド)この立地が選ばれたのも大和川の水量と水運を必要としてのことだったようです。
そんな大和川の歴史と関わり深い場所で、開催されたのが「大和川水環境交流会」でした。このイベントでは、前篇で大和川周囲の埋め立て地を案内してくださった漁師の高田利夫さんの講演が行われます。後篇では、その様子をお届けします。


■水辺と関わる子どもたち
会場となったイオンホールでは、大和川コンクールの作品展と表彰式が行われていました。
作品展は入賞したポスター・写真・作文が展示され、舞台上では入賞した方の表彰式が行われています。
入賞者と家族に関係者などで、会場はなかなかの大入りです。

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▲入賞した作品が展示されていました。


舞台にあがったのは小学校低学年の児童から、大人まで幅広い年齢層。スクリーンに作品が映し出される中、司会の方から1人1人丁寧にインタビューされ、作品のアイディア、思いなどが語られます。表彰された皆さんにとって、これはいい思い出になったことでしょう。

この表彰式の後、引き続いて高田さんの講演が行われます。大和川に関心を持って作品を作った子どもたちや大人たちには、戦後の堺の海と共にあった高田さんの話はどう受け取ってもらえるでしょうか。

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▲昨年出来たばかりのイオンホールはなかなかの賑わい。


■豊かな大和川との暮らし
高田さんが語る大和川は、いのちに満ちた豊饒の川でした。
「昔は漁にいったら、船が半分沈むぐらいウナギが獲れました。ダイセルの工場の横に、今は撤去されましたが潮止め堰があって、そこを飛び越えようとする鮎で川が真っ白になるほどでした」
子どもだった高田さんが良くお使いに向かった先も大和川でした。
「ご飯の用意にと母親から言われてよく川に行きました。15分もしたら、シジミがバケツ一杯獲れたものです」


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▲うなぎやシジミが獲れ放題だった昔の大和川について語る高田さん。


当時は海も美しく、大浜には東洋一と言われた水族館や少女歌劇団に、三階建ての豪華な料理旅館、そして海水浴場だってありました。
「三階建ての旅館は見た覚えがあります。大浜の海水浴場はいつも人がいっぱいだったから、私たちは人が少ない出島までいって泳いだものです」
しかし、堺は工業都市へと舵を切り、海が埋立てられると、リゾート地としては終焉を迎えます。
漁協には地先の漁業権だけが残されました。出島漁港は、臨海工業地の造成で湾岸線の外側に移動・整備されました。三宝(大和川河口)・旧堺港、出島の3つの漁業協同組合がここを母港にするよう指導され、高田さんもここへやってきました。


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▲現在の出島漁港。高田さんの船もここに。


大和川は上流からの生活排水もあって、日本でも最も汚れた川として知られるようになり、臨海工業地帯が出来て10年で生き物たちの多くが姿を消しました。漁師の多くも陸(おか)に上がってしまいましたが、高田さんと仲間の漁師さんたちの環境悪化と戦う日々が始まったのです。
高田さんたちは、行政に働きかけたり、海をよく知ってもらおうと船で子どもたちを海に連れていく小学校の社会見学を40年も続けました。
「昔海に連れて行った小学生が大きくなって、お孫さんを連れてきたこともあります。『子どもの頃、漁師さんに海に連れて行ってもらったけれど、あの船長さんももういないでしょうね』って。黙っていましたが、実はそれは私だったんです」

そして、この日のイベントのような環境啓発活動や清掃活動、下水処理施設の改良などもあり、まだまだ古いヘドロなどが海底に溜まっているといった問題はあるものの、川には鮎も戻ってくるようになりました。
だから、高田さんのメッセージは、やっぱりこれからも川を美しくすることでした。
「浅瀬で大和川と遊べるように。ゴミを捨てないで、大和川を綺麗にする努力をしてほしい」
また、下水処理場の下流から貝が消えた問題の解決策も訴えます。
「それと大和川の上流に貝の稚魚を撒いてほしい」
この高田さんの訴えは、続く「大和川キッズによる水環境交流会」に向けて渡されたバトンのようでした。


■若者たちの円卓会議
高田さんの培った経験は若い世代の今後にもきっと活かされるはずです。
「大和川キッズによる水環境交流会」では、若者たちによる研究発表やディスカッションが行われました。
小学生から大学生まで、生物クラブなど7つのグループが、自己紹介と共に活動報告を行いました。

その様子を、高田さんや今回のイベントに尽力した行政や民間の関係者たちが見守ります。様々な水環境のプロたちの目に若者たちの発表はどう映ったことでしょうか。後継者たちの情熱が心強く感じられたのではないでしょうか。

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▲若者たちの発表をみつめる高田さん。


円卓になってディスカッションできたのも、若者たちにとって志の近い仲間たちと出会える場となったように思われます。

私たちは、わずか10年で白砂青松を謳われた堺の海をヘドロの海に、大和川を日本最悪の川に変えてしまい、その後数十年かけてもまだ美しい海と川を取り戻す途上にいます。全てを取り戻せるとしても、それは次の世代、その次の次の世代にまでかかってしまうことかもしれません。そうであるならばなおのこと環境を破壊してしまった世代には、果たさねばならないことが多くあるのではないか。高田さんの海と川の案内、そしてこの日のイベントを通じてそんなことを思わずにはいられませんでした。

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▲この日表彰された若者たち。高田さんの想いが引き継がれていくことでしょう。

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