| トップページ |
雑記帖 No.121

素人でも玄人と隔てない稽古を~能楽教室

堺能楽会館でシテ方観世流浅井文義先生の能楽教室が開催

170331_nohu_00_face01.jpg

堺の旦那文化の最後の継承者ともいえる堺能楽会館の大澤徳平さんから、能楽教室が始まったというお知らせが届きました。
「来ていただく先生は、本当にいい間違いのない先生なので、ぜひ皆さんに知っていただきたいんです」
大澤さんの太鼓判ならば、それこそ間違いのない話でしょう。本物の能楽師とはどんな存在なのかを知りたいという気持ちもあって取材をお願いすると、快諾していただけました。

数日後、約束の日に堺能楽会館を訪れると、
「どうぞ、丁度今お稽古の最中です」
と、まさに稽古をつけているところを見学をさせていただきました。
お目当ての先生の名は、浅井文義さん。舞台の上で生徒さんを指導する様子をしばらく拝見していると、「天上の世界だという風に自分でイメージを膨らませて」といった生徒の創造性を喚起する指示もあれば、所作に緩急をつけるようといった具体的な手の動かし方や足の運び方の指摘もあり、見ているだけで興味深いお稽古でした。
稽古が終わった後、舞台裏の一室へ招かれました。


■大阪生まれの能楽師が東京で鍛えられる
シテ方観世流の浅井文義さんは大阪生まれ。父の竹谷文一さんも能楽師で、浅井さんも3才の時に初舞台を踏みました。
「子役が最初にやる『鞍馬天狗』という演目でした。花見のシーンで出るだけ、歩くだけだったんですが、大阪の大槻能楽堂で下の姉と一緒に出た思い出があります」

170331_nohu_01_asai01.jpg
▲シテ方観世流・浅井文義さん。初心者の質問にも、きさくに丁寧に答えていただけました。


稽古の時から気になっていたのですが、浅井さんの言葉は大阪弁ではなくて東京弁です。理由を尋ねると、
「大阪生まれで20才までは大阪だったのですが、その後ずっと東京なんですよ。私たちシテ方は笛・鼓・太鼓を習います。私は若いころは大阪で三島元太郎先生から太鼓を習っていました。20才の頃に三島先生に将来のことを相談すると、東京の観世寿夫先生の書生になるよう勧められたのです」
三島元太郎さんは後の人間国宝で、観世寿夫さんは戦後の能楽界の旗手と称され名人に数えられる方です(1978年に53才で早世)。三島さんもまた、観世寿夫さんに師事していたとか。三島さんの勧めに従い、浅井さんは東京へ居を移します。

能楽師と一言で言っても、能は分業制で、シテ方とワキ方、お囃子方と狂言方に分れ、兼業することはないのだそうです。シテ方は劇の主役を務める役割で、五つの流派があります。浅井さんは、このうち能を大成した観阿弥を祖とするシテ方観世流だというわけです。
東京で書生生活に入った浅井さんは、レベルの違いに圧倒されたといいます。
「先生の歌声、先輩方のレベルが違う。自分の知識が未熟すぎたし、ぬるま湯と熱湯の違いのようでした。それだけ舞台にかけるエネルギーは凄まじいものがありました」
書生生活は25才まで続き、許しを得て独り立ちをする時に忠告を受けます。
「出てからは自分の時間を作ることが大切だと寿夫先生に言われました。自分の時間というのは、稽古の時間のことです」
浅井さんは、何よりも舞うこと、その稽古をすることが楽しいといいます。
「稽古が一番楽しいですね。寿夫先生には、書生をしている時から稽古しろ、稽古しろと言われました。(1舞台に)100回稽古しろと。稽古は1日に10回やって1回と数えますから、100回の稽古は毎日やって3か月以上かかるのです」
そうして能にひたすら打ち込む日々。独り立ちした25才から68才の現在まで浅井さんは能楽師一筋です。
「他の仕事をしたことはありません。若い頃にアルバイトをしたこともない。父からもそんなことをする暇があったら、能の事をしなさいと」
だから社会をあまり知らないと、浅井さんは笑います。


■大阪へ、堺能楽会館へ
熱湯の東京に何十年といた浅井さんが、堺能楽会館で能楽教室を開催するに至ったのはどんな経緯なのでしょうか。
「実は去年の9月に東京を引き払って大阪へ移ってきたんです。(能楽師としての)所属も東京支部から大阪支部へと移しました。故郷に錦を飾るという言葉もありますが、大阪に恩返しをしたいという気持ちがあったんです。今、なんでも東京に一極集中する中で、大阪や関西を活性化のために何かできればと」

浅井さんは、この堺能楽会館と過去に直接の縁もありました。
「堺能楽会館の舞台開きに、父と一緒に来させていただいた思い出があるんです。かつて父は堺で育ったとも聞いています。何かご縁があったのでしょう」
堺能楽会館の舞台開きは昭和44年(1969年)の2月1日です。戦前は酒造業を営んでいた大澤さんの母・美代子さんが、「これからは芸で酔っていただく」と宣言した日です。年から数えると、丁度浅井さんが20才の頃です。時期的には東京へ行く前になるでしょうか。


170331_nohu_02_keiko01.jpg
▲「能舞台それぞれに個性がある」と浅井さん。板についた傷のひとつひとつがわかるまで能舞台を知る必要があるそうです。

久しぶりの堺能楽会館となりますが、舞台の使い心地はどうなのでしょうか。
「まだ慣れていませんからね。寿夫先生には、停電になった時にも舞台の上を歩けなくてはいけないと言われましたが、まだとても。私たちは舞台のお掃除をするんですが、お掃除をして舞台についている傷の一つ一つまでわかるようにならないといけません。これも寿夫先生がやっておられたことです」


■じっとしていても表現される個性
能の先生としても浅井さんは、寿夫先生からお教えを大切にしています。
「私たちにとって、教えることも勉強になるのですが、素人の稽古と玄人の稽古を隔ててはいけないと言われました」
素人であっても、玄人と同じように、手を抜かない稽古をする。そのために、浅井さんは基礎からしっかりと教えます。それは丁度、柔道でもまずは受け身をしっかりと習うようなものだそうです。
「年齢性別にこだわりません。まずは謡。口移しをまずやらなきゃいけないですし、世阿弥が能を作ったという背景も教えないといけない。今はテープもありますし、最初はオウム返しでいいのですが、基本を覚えていただいて、ある段階でステップアップするんです。自分でどう考えるか、自分で想像すると限りがありません」
基本から応用へ。そこには、能の面白さも難しさもあるようでした。

「やる方もロボットじゃあ仕方がない。さきほど稽古でやっていた『羽衣』も、やる人によってそれぞれ違う曲にならなきゃ。その人の個性プラスその曲のもっているテーマが舞台にならなきゃ」
さきほど見せていただいた稽古で、演者の内面性を喚起するような指導をされていたのは、そういうことだったのです。
「教えているとその人の性格がわかる。舞台における性格ですよ。そのプラスになるところを伸ばしていくんです」

170331_nohu_03_asai02.jpg
▲身動きしなくても表現する「せぬ暇」と、片膝をついて座る浅井さん。

勝手ながら伝統芸能というと、もっと形式ばったものだと思いこんでいたので、「個性を伸ばす」指導法に驚いてしまいました。
「江戸時代に悪い意味で形式的になってしまった。その悪癖が今も残っている部分はありますからね。でも、決まりはあるし、決まり通り、決まり通りやってしまったら楽だけど、その人の個性で融通性がある、舞台上の出会いがあるんです」
決まりがある中で、舞台の上での歩き方、扇の返し方も、その人の個性によって違ってくるのだそうです。
それまで正座されていた浅井さんが片膝をつきました。その姿がすっと決まっています。
「『せぬ暇』という言葉があります。それはたとえばこうやって座って、何もしてないのに表現することの難しさを言った言葉です。最終的には、じっとしている時に表現できるかが勝負です。もう一つ上の段階にもっていかないと」
「せぬ暇」にいたるまで、どれだけの修練が必要なのか。ため息が出そうですが、でもそれは確かに眼前にあったのでした。


■自分の生き様をさらけ出す
堺能楽会館の大澤さんの若いころには、堺の商家では能の謡を習う習慣があったそうですが、今の若い人にとっては能はなじみのあるものではありません。生涯能一筋の浅井さんに、能の魅力とは何かと、尋ねてみました。
「シンプルイズベスト。単純です。単純だから、いかに自分で表現するか。自分で広げることができる。曲の主人公を通じて、自分の生き様をさらけ出すのです。それをお客様が見てどう感じるかです」
能にはいろんな作品があります。
「たとえば平家物語の平清経という作品があります。主人公である平清経は、戦に行く時に、死なずに必ず生きて帰ってくると奥さんの約束します。しかし、実際の戦場ではそういうわけにはいかずに、戦死してしまう。しかし、そのことを奥さんには許せない。そんな主人公を通じて自分の生き様をさらけ出す」
どうにもならなかった運命。かなえられなかった約束。それは演じる人の人生にも、鑑賞する人の人生にも起こり得ることでしょう。

170331_nohu_04_sannin01.jpg
▲堺能楽会館の館主大澤さんと生徒さんと一緒に。

「ネットだったりゲームだったり、受動的なことに慣れてしまった若い人たちには、考えて自分を表現する能の魅力を知ってほしいですね」
と、浅井さんはいいます。子供を教える中でも、浅井さんは若者の変化を感じることがあるそうです。
「若者の体が変わってきたと感じます。今は危ないからと、外で遊べなくなっているから、声を出すことがなかなかない。子方を指導していても、声を出す必要がないことが、体についてしまっている」
そうした変化も、能には対応できるシンプルさゆえの強さがあるようです。
「芸能は肌で感じて社会にいかに順応するか。あるいは反発するかです。ヒット曲のキーも時代によって変化するでしょう。今のキーは随分高いでしょう」


時代の変化にも敏感に対応する能。それは伝統の中に押し込められたイメージとは違うものでした。自分で考え、体を使って表現する楽しさを体験してみてはどうでしょうか。浅井さんなら、あなたが自分で気づかなかった舞台上での個性を見出してくれるかもしれません。


堺能楽会館
住所 大阪府堺市堺区大浜北町3-4-7-100
最寄り駅 南海本線:堺駅
電話 0722-35-0305

検索

カテゴリ

2017年6月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

お気に入りに追加

堺「意外史」探訪
| トップページ |