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雑記帖 No.113

ステンドグラスで巡る鉄道の旅(2)

近代遺産駅舎探訪

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南海電気鉄道には、今も明治・大正時代の駅舎が残っています。堺に残る諏訪ノ森駅舎には、松林を描いた美しいステンドグラスが訪れるものの目を楽しませてくれています。
大阪、堺の近代化に不可欠だった鉄道がどのように広がっていったのかを見た前篇。後篇ではこの美しいステンドグラスが生まれた背景に迫ります。


■鉄道利用ランキングは?
文明開化の日本では鉄道が開通しても、鉄道を利用する習慣が根付くまで時間がかかったようです。
明治の堺を代表する経済人で、アサヒビールの創業者・鳥井駒吉は、南海鉄道の初代社長松本重太郎の後を継ぎ二代目社長となります。鳥井駒吉ら堺の酒造業者たちは、日本酒の流通を期待していたのではないかと思われますが、水の都として水運の発達した大阪では船が主で鉄道は従の関係がしばらく続いたようです。

鉄道による通勤についても、当時の商家では住み込みがほとんどで、鉄道通勤が増えるのは大正時代になってからでした。当初は鉄道による通学の方が先行しており、通勤になれた学生が就職して社会人になるようになって、鉄道通勤が一般化したようです。

そんな中で、一番最初に開通した難波~大和川、そして吾妻橋間の阪堺鉄道が目当てにしていたのは、観光だったようです。当時、難波~堺間にある天下茶屋と住吉大社は名所として知られ、堺の大浜は白砂青松で海水浴が楽しめる景勝地で堺県時代に近代公園に生まれ変わっていました。
1898年(明治31年)に和歌山~堺間が開通して阪堺鉄道が南海鉄道と合流した年には、南海沿線の観光ガイドブックとして「南海鉄道案内」が刊行されています。
そして、1903年(明治36年)に大阪天王寺を第1会場とし、堺の大浜を第2会場として第5回内国勧業博覧会が開催されました。これは万博の国内版で、大浜に作られた水族館は会期中に80万人の観覧者を集め大人気となりました。大浜は、その後水族館や海水浴場だけでなく、潮湯や少女歌劇団などもあり、日本有数のリゾート地となったのです。

このような背景があって建築された大正時代の南海鉄道の駅舎を見ると、それぞれの駅舎に残るステンドグラスがその土地固有のものであることに気付きます。
では、実際の駅舎を紹介していきましょう。


■ふたつとない駅舎
●「諏訪ノ森」駅
まずは「諏訪ノ森」の駅舎から見てみましょう。
「諏訪ノ森」は、和歌山方面のホームとなんば方面のホームが離れた場所にあるのですが、なんば方面のものが目指す駅舎です。

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▲なんば方面行の諏訪ノ森の駅舎。壁面下部を装飾している鉄平石は改修で張り替えたもの。

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▲諏訪ノ森のステンドグラス。松林が題材。

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▲諏訪ノ森の内装。縦長の窓の下に作り付けの木のベンチ。灯具もキュート。


複雑な屋根の組み合わせの木造の小さな駅舎は、当時流行した「セセッション様式」のもので、当時の面影を損ねないようにお色直しされています。灯具も白い野の花のような可憐なもので、ようやく2人が座れる程度の小さな木のベンチも残っています。ステンドグラスは松林の景観が描かれています。駅名の由来となった近くの諏訪神社も松と楠の森だったそうですが、これは名所で名高い浜寺の松林だそうです。
なんとも可愛らしい駅といった印象ですね。


●「高師浜」駅
高石市に残るのは「高師浜」駅です。「羽衣」駅からわずか二駅のこの支線が出来たのは1919年(大正8年)のことでした。

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▲高師浜の駅舎。レンガ風のタイルがおしゃれ。広い前庭もあって、陽性で開放感がある駅舎です。

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▲高師浜のステンドグラス。海ゆく鳥が題材。

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▲高師浜のエントランス。入口の角がアーチ風に装飾されています。


高師浜は万葉集にも「音に聞く高師の浜の仇浪はかけじや袖のぬれもこそすれ」と歌われた名勝です。ステンドグラスには、その水面を舞う鳥の様子が描かれています。
駅舎には窓も多く、壁面と駅の前庭がタイル貼りになっていて、一番日本離れした駅といった印象です。
ただ残念なのは、灯具が味気のない蛍光灯なのと前庭にある自動販売機がせっかくの建物の景観を邪魔していることでしょうか。


●「蛸地蔵」駅
名前のユニークさでも屈指の「蛸地蔵」駅は岸和田市にあります。

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▲なんば方面行の蛸地蔵の駅舎。グレーのタイルがクールな印象。

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▲ど派手でファンタジックなステンドグラス。

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▲もう一面あるステンドグラスも美しい色彩です。

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▲内装のコーディネートもばっちり決まっていてスタイリッシュ。

蛸地蔵は岸和田に伝わる昔話で、賊によって海に捨てられた土地神のお地蔵さまが、長い歴史の中でこの地に高波や戦乱の危機があった時に大蛸に乗って姿を現して助けてくれるというもの。駅舎のステンドグラスには、和歌山の雑賀衆と根来衆が攻め込んできた時に、大蛸に乗った法師が万を超える蛸たちと共に現れ、軍勢と戦い追い返したシーンを描いています。ステンドグラスは駅の南面と西面の2面にあるのも豪華な印象で、灯具もスタイリッシュで、軒下飾りも植物をモチーフにした華麗な金属製のものです。
こちらの駅舎も「諏訪ノ森」駅舎と同じくセセッション様式とのことですが、なんとも豪奢で贅沢な駅舎という印象です。


●「岸里玉出」駅
完全に駅舎が建て替えられ、「岸里」駅と「玉出」駅が一緒になって出来た駅ですが、「岸里駅」のステンドグラスだけが移設されています。

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▲他と違い幾何学的な岸里玉出のステンドグラス。


こちらのステンドグラスはこれまで見てきたものと違って情景を描いたものではなく、幾何学模様のデザインです。何をモチーフにしているのか詳細はわからないのですが、ひょっとしたら玉出の由来になった「潮満珠」でしょうか?


●「西天下茶屋」駅
「岸里玉出」駅から出ている汐見橋線の駅です。汐見橋線は、1900年(明治33年)に高野鉄道の路線として出来ました。「西天下茶屋」駅は、大阪高野鉄道となった1915年(大正4年)とのこと。

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▲汐見橋方面行きの駅舎。

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▲ステンドグラスはありませんでした。最初からなかったのか、入れ替えられたのかどちらなのでしょうか?

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▲岸里玉出方面行の駅舎。シンプルですが、こちらも悪くないですね。


「西天下茶屋」駅には、残念ながらステンドグラスはありませんでしたが、ステンドグラスがはまっていたんじゃないか? と思われるようなはめ込み窓がありました。建造されたのは南海鉄道とは合流する前ではないかと思われますが、「蛸地蔵」駅とよく似た作りになっています。
軒下飾りは金属製ですが、装飾性はそれほど無いもの。灯具も蛍光灯です。一番素っ気ない駅ですが、すぐ近くに商店街があって人通りは意外に多くて庶民的。下町の空気に溶け込んださり気ない佇まいはなんとも魅力的に感じました。


●「汐見橋」駅
最後の駅は「汐見橋」駅。1900年(明治33年)の開業時は道頓堀駅だったそうです。


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▲汐見橋駅のエントランス。

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▲入口上には何もありませんでした。窓は埋められてしまったのでしょうか?


この駅舎は、もともとはかなり立派な作りをしていたようなのですが、ファサード部分がすっかり現代風に作り変えられてしまいました。構造はおそらく元のものが使われているようですが、外装が素っ気ないものになっています。ステンドグラスどころか、窓があったかもしれない場所もただの壁でした。
ですが、ところどころに片付け忘れた遺品のように、以前の面影が残っています。市外局番のない薬局の電話番号が書かれた温暖計。目の細かいタイルの貼られたお手洗い。使われなくなった木製の窓口。この意外に広いエントランス空間からも、終点駅の風格が感じられるようです。


南海鉄道で有名なレトロ駅といえば「浜寺公園」駅で、これは明治近代建築の泰斗・辰野金吾率いる「辰野片岡建築事務所」の設計によるものですが、今回ステンドグラスを追って巡った大正年間の駅舎は設計者はいずれも不詳ですが、南海鉄道の自社設計によるものではないか? とのことです。
現地に特化して見所の景観や伝説を描いた「諏訪ノ森」「高師浜」「蛸地蔵」に残るステンドグラスからすると、観光ということが強く意識されたのではないかと想像できます。地元のシンボルのようなステンドグラス、そして現代のように建築資材のレベルで規格化されていないこともあって、それぞれが完全に手作りの世に2つとない個性的な駅舎たち。どうひっくり返っても、同じものを作ることは出来ないのではないでしょうか。これは鉄道とまちにとって、かけがえのない宝だと言えそうです。


※参考資料
「大阪府の近代化遺産」(大阪府教育委員会/非売品)
「水の都と都市交通」(三木理史/成山堂書店)
「熱き男たちの鉄道物語」(橋爪紳也他/ブレーンセンター)

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