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雑記帖 No.111

狐の啼く森3 「聖神社」

きつね唄がつなぐ聖なる山

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陰陽師・安倍晴明出生伝説のある泉州「信太の森」と、晴明の父・安倍保名終焉の地とされる北摂「信田の森」。伝説の中の存在とされる保名の墓守りの家系という信田修次さんと出会ったことからはじまった、二つの森を巡る旅。第2幕では、和泉市の「信太の森ふるさと館」の特別企画「陰陽師の世界」展で、学芸員の細田慈人さんの解説と資料を基に、晴明伝説の変遷を見ました。そして第3幕は、きつね唄の奏でられた、聖神の森へと誘われます。 (前篇中篇
 
 
■聖神の森、晴明の聖地 
「信太の森ふるさと館」から外に出ると、薄闇が迫っていました。 
目前の鏡池のほとりを巡り、森を回りこんで目指すのは聖神社です。伝説では、この辺りの「ネズミ坂」で晴明の父・保名と母・葛の葉が出会ったことになっています。聖神社は、渡来系の信田氏が信太大明神(聖大明神)を祀った神社で、927年の「延喜式」に名前が載っている、いわゆる「式内社」。歴史のある格の高い神社です。 
カラスばかりが鳴き、境内には人気はありません。 

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▲鏡池をまわって聖神社にたどり着きました。
 
ところで、山頂にある聖神社が晴明の霊地とされながら、一般的に葛の葉との関係で良く知られているのは、丘の中腹にある信太森葛葉稲荷神社の方です。これは聖神社の末社だった神社を、地元中村の庄屋が屋敷に取り込んだものでした。地主は、境内の狐を晴明の母の子孫として赤飯を供え、稲荷神社を勧進して全国的に有名になったのです。 
初期の安倍晴明伝説では、晴明の母は聖神そのものだったのが、後の信太森葛葉稲荷神社ブームによって、聖神ではなくその眷属の葛の葉が母という風に変質して現在のようになった背景にはそんな事情がありました。 
 
この聖神社は、実は陰陽師と深い関係がありました。 
南北朝の頃、安倍氏よりわかれて奈良で南都陰陽師・藤村氏が生まれ、さらに和泉では聖神社に付随する形で舞村に移住しました。舞村には、舞い大夫がおり、彼らは芸能の民にして陰陽師の声聞師(しょうもじ)と呼ばれる存在となりました。家を建てた時などお祝いごとには、舞い大夫の出番です。そして、陰陽師はというと、実はとても大切な役割がありました。それは現代のわたしたちにとっても、それがなくては生活がまったく成り立たないものを作るという役割です。 
「それ」とは、一体なんでしょうか......!? 
 
 
■時間を支配する陰陽師 
答えは、「暦」。カレンダーです。 
弥生時代・古墳時代には、日本には暦というものがありませんでした。しかし、王権が確立すると、人を支配するために、皆が共有できる暦が必要になってきました。推古天皇の時代になって、当初は朝鮮半島の暦を輸入し、ついで中国南方の暦を参考にして日本人の手による暦が生まれます。7世紀後半には、陰陽寮が設置され、暦・時刻・天文の専門家として陰陽師が登場するのです。 

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▲堺市南区にある小谷城の小谷方明さん宅のふすまから発見された泉州暦(信太暦)。
 

平安時代には役人だった陰陽師は、時代が下ると民間陰陽師として庶民の生活に密着した存在となります。和泉の舞村の藤村氏もそうした陰陽師の一族で「信太暦」(岸和田暦、泉州暦、舞暦とも)を江戸時代まで発行販売していました。地方暦は、全国でも五つしかない貴重なものです。 
 
実は堺にも声聞師はいました。 
時代が下り、政治の中心が移ったのに合わせて、泉州の陰陽師の中心地は和泉府中から堺へと移っていきました。記録によると、豊臣秀吉の怒りをかって19名の声聞師が堺から追放されたそうです。そこからしても、中世堺は、各町に1人ずつは陰陽師がいるぐらい沢山の陰陽師がいる陰陽都市だったというのです。江戸時代には幕府による陰陽師の管理が強化される中、堺の陰陽師が和泉の陰陽師藤村家を監視していたようです。 
現在でも、丁度、摂津国と和泉国の国境である大小路と、紀州街道である大道筋の鬼門(北東)の角は「晴明辻」と呼ばれています。 
 
 
 
■聖なる山の麓に暮らす陰陽と芸能の民 
そしてようやく、この「シノダの森」を巡る旅の出発点である「先祖が堺から来た安倍保名の墓守り信田家」のヒントにたどり着きました。 
山頂にある神社・寺院というのは珍しいものですが、和泉の聖神社も、能勢の妙見山もこのスタイルです。そして、妙見山も歌舞伎役者や舞妓に信仰されたように、芸能者に縁が深かったのです。 
細田さんは、両地域の類似性を指摘します。 
「能勢も芸能村や陰陽村の多い地域でした。また、能勢にもきつね唄があります。陰陽師や芸能の民を通じての交流があったかもしれないというのは、考えられることです」 

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▲能勢・信田の森の前にある田んぼ。「摂津には、天皇の陵の墓守りも多いのです。信田さんの一族は、たとえば安倍氏の領田が能勢に出来て、安倍氏が派遣した一族が土着したのかもしれない」と和泉市の学芸員細田さんは言います。

 
安倍晴明伝説が、時代と共に全国に拡散され、芸能の中で洗練されていく。一方で、和泉の聖神社周辺の狐伝説も、安倍晴明伝説と響き合う形で葛の葉伝説へと整えられていく。安倍晴明の名声を、陰陽師が利用し、仏教僧が利用したように、中世の声聞師・芸能の民は葛の葉伝説を取り込む形で安倍晴明伝説を利用したのではないでしょうか。 
 
保名の墓守である信田さんの一族も、そんないくつもある和泉と能勢のシノダの森をつなぐ縁の線のどれかに導かれ、堺から能勢へとたどり着いたのではないでしょうか。 
 
 
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▲信太山の麓にある大鳥居。この山全体が聖神社の聖域だったのです。


聖神社の境内でしばらく過ごすうちに、すっかり陽が落ちてきました。 
鳥居をくぐって、信太の山を下っていくと、ふもとの大きな鳥居がありました。この道が参道だったようです。秋の祭りを控えて、練習の祭囃子がどこからか聞こえてきます。 

不思議な出会いから始まった2つのシノダの森を巡る旅も、ひとまず終わりです。
 
 
聖神社
所在地: 〒594-0004 大阪府和泉市王子町919







 

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