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雑記帖 No.110

狐の啼く森2 「泉州・信太の森」

安倍晴明伝説の変遷を追う

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「信太妻」で知られる陰陽師・安倍晴明出生伝説の地は和泉市の「信太の森」とされています。  
しかし、「信田の森」は北摂の能勢町にもあり、そこは晴明の父・安倍保名の終焉の地で墓がある。前回は、その墓守の一族である信田修次さんにお話を伺い、「日本一の里山」を案内していただきました。  
今回は泉州へと取って返し、丁度「陰陽道の世界」展を開催していた和泉市の「信太の森ふるさと館」へと向かいました。  
(→前編
  
  
■信太の森を目指して 
JR阪和線「北信太」駅を降りて、最寄りのバス停にたどり着くと驚愕の事実が待っていました。 
時刻表が真っ白です。人里離れた限界集落というわけでもなく、堺の町中からも、和泉市の市役所からもほど近い市街地なのですが、これは一体......。 
恐る恐る「信太の森ふるさと館」に電話すると、「今の時間帯はバスは走っていません。歩いた方がいいですよ」というお答え。目指す「信田の森ふるさと館」ははるか坂の上、山の頂にあります。タクシーが走っている気配もなく、これは歩いていくしかありません。 
 
坂道を登っていく、その周囲の斜面は完全に市街地で、URの団地地帯になっていました。20分ほど坂を登りきると、突然森が姿を現しました。この森が抱え込むようにしている池、これも伝説の鏡池のほとりに、目指す「信太の森ふるさと館」がありました。 



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▲丘陵を登りきると森と池に囲まれた「信太の森ふるさと館」があります。


「能勢町の『信田の森』については、和泉市にある文献的には何もなくて、よくわからないのです。能勢の信田さんからは、以前電話でお問い合わせがあって、そんな話をしたのを覚えています」  
そう答えてくださったのは、「陰陽道の世界」を企画した学芸員の細田慈人さんです。  
この日は特別企画「陰陽道の世界」の前期「和泉地方と陰陽道」の展示解説日でした。歴史ファンが集まり、細田さんの解説に熱心に耳を傾け、質問を投げかけます。  
細田さんの解説は、発掘調査などからわかった古代の陰陽道について、近世和泉地方で陰陽師によって独自に作られた暦「信太暦」について、そして安倍晴明の実像と虚像についてなど多岐に渡りました。  
解説と資料から、安倍晴明伝説についてまとめてみます。  
  
 
■安倍晴明伝説の誕生 
細田さんは、安倍晴明伝説の成立を、大きく4つの時代にわけています。「実像」「説話」「伝記物語の形成」「芸能の世界」です。  
安倍晴明の実録では、父は大膳大夫安倍益材。系図によっては、遣唐使の阿倍仲麻呂を祖とするものもあるが、繋がりを証明するものはないとのことです。記録されている地域は京都に限定され、卓越した陰陽師としての記録はあるが、式神を使役したなど、超人的な伝説は存在しません。では、どうして伝奇ヒーローのような伝説が生まれたのでしょう。  
「晴明は84才という当時としては異例の長寿だったことが、超人視されたのではないでしょうか」 
と、細田さんは推測します。 
 
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▲学芸員細田さんの解説に、歴史ファンが熱心に耳を傾けていました。

長寿だった晴明の没年は1005年。没後100年以後の平安末期から鎌倉時代にかけてが、安倍晴明の「説話」の時代です。説話は晴明を主人公とした個別短編で、舞台を京都周辺まで広げています。説話の中では、晴明が使い魔である式神を使役したり、命の身代わり術を駆使したりと、超人的な陰陽師像が登場します。 
「この時代は、都では怨霊や呪詛、禁忌思想が浸透し、陰陽師の役割が拡大していった時代です。鎌倉時代になると幕府のある鎌倉に陰陽師が連れていかれ、鎌倉陰陽師も生まれます」 
 
その後、鎌倉時代末期から南北朝・室町・戦国にかけて、伝記物語が形成されます。物語の舞台は全国各地に広がっていきます。 
「過去の説話を継承しながらも、物語の主題は別にあって、晴明は脇役的な立場になります。この時代は仏教の末法思想が流行りました。伝記の中にも仏教への傾斜が見られます。たとえば、晴明でも救えなかったものを、仏教が救えた。すごい晴明よりも、仏教はすごい。そんなメッセージが込められたのです」 
 
 
■「化生のもの」から「化生のものから生まれたもの」へ 
北摂能勢妙見山にも、仏教と陰陽道の強い結びつきの関係を見ることが出来ます。 
「鎌倉時代に勃興した新宗教に押されて真言宗は一時衰退します。しかし、妙見信仰を陰陽道を通じて道教から導入し、星の信仰で人気を集めるようになります」 
これは能勢妙見山が、まだ真言宗で大空寺と呼ばれた頃の話になるでしょうか。 
天文博士である陰陽師は星の専門家です。陰陽師は星の信仰によって、道教と仏教、神道と仏教など、宗教を結びつける役割を果たしたようです。 
 
このように安倍晴明伝説は、時代を反映するような形で広がっていったようです。 
禁忌思想の浸透や鎌倉陰陽師が誕生した時代には、陰陽師たちが自分たちのスーパースターとして安倍晴明伝説を広めます。ついで、末法思想や妙見信仰が流行ると、すでに名声が確立した安倍晴明を利用して、その安倍晴明よりも仏教はすごいのだと、仏教僧によって広められます。 

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▲奈良国立博物館所蔵の絵巻に描かれた安倍晴明祈祷の図。周囲には式神や十二神将が控えている。超人的な晴明像が伺える。

 
それまでは無かった晴明の生誕伝説も、日本各地で見られるようになり、室町時代末期についに信太の森伝説が語られるようになります。 
江戸時代に入り、芸能の世界に安倍晴明が登場します。全国に広がっていた物語の舞台も、京都・摂津・和泉の畿内に収束します。安倍晴明伝説の完成です。 
 
そうした伝説の変遷の中で、安倍晴明の出生も変化していきます。 
84才という長寿もあって「安倍晴明は化生のもの(化け物・超常の存在)」とされていたのが、いつしか「安倍晴明は化生のものから生まれた」とされるようになったのです。 
 
これが泉州信太の森の伝説とどう結びついたのか。 
それは、この日バスを逃して、とぼとぼと歩いた坂道とも関係があるようです。 
泉州信太の森と、北摂信田の森を結びつける環は見つかるのでしょうか? 
後篇へ)


信太の森ふるさと館
入館料 : 無料
開館時間 : 午前10時~午後5時
休館日 : 毎週月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日、年末年始
所在地 :
〒594-0004 和泉市王子町914-1 
信太の森の鏡池史跡公園信太の森ふるさと館
電話・ファックス:0725-45-0605

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