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雑記帖 No.079

まちに誇りがあるから ~木津川アート~

行基が橋を架けたまち「木津川」1

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木津川アート2013 アーティスト:Tagiruka(写真提供:木津川アート)

 
堺に生まれた奈良時代の僧・行基は、日本各地で橋やため池、港を作り、今風にいえばまちづくりを行いました。こうした行基の影響は現在にまで続いているのではないか? そう思わせてくれたのは、行基開山の能勢妙見山を手がかりに北摂の豊能エリアでの取材でした。豊能エリアの現在と過去を訪ねると、行基の遺産は今に続いており、又意外にも堺との繋がりが見えてきたのでした。 
行基を手がかりに、外から堺を見ると何かが見えて来るに違いない。そんな目論見をもって、 豊能エリアに続き、新たな「行基のまち」に白羽の矢を立てたのは、京都府木津川市です。 

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▲行基は木津川に橋を架け、橋のたもとに泉橋寺を建てました。今、泉橋寺には日本最大のお地蔵さまがあり、幾たびの水害をもたらした木津川を睨んでいます。


■「まちアート」で魅力探訪 

京都府の南端、奈良との県境沿いにある木津川市は、2007年(平成19年)に木津町・山城町・加茂町の3町合併によって誕生したばかりの市です。 
この生まれたばかりの木津川市で、2010年に芸術祭「木津川アート」が開催されました。以降もこの芸術祭は続き、2016年には第7回を数え、今や市をあげてのフェスティバルになっているとか。「木津川アート」の歴史は、ほぼ木津川市の歴史と重なります。
木津川市とは何か? を問うことからはじまった「木津川アート」を知ることは、今の木津川市を知る第一歩になるのではないか。 そんな予感を持って、「木津川アート」のプロデューサーである佐藤啓子さんに、誕生から現在に至るまでの経緯を伺いました。 

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▲交通の要所として機能した木津川。上流の山岳地帯の木材を京都・奈良へ。そして集積した物産は大阪・神戸・泉州にも運ばれました。

 
「山河は語る。アートはうたう。」 
霞たなびく山容と、歴史的な役割をはたしてきた木津川の景観にこのコピーを重ねて、「木津川アート」は始まりました。 
「2007年の3町の合併に伴って、まちの魅力発見プロジェクトが立ち上がりました。私は、木津川市の一市民として企画グループにいて、芸術祭の開催を提案したのです」 
デザイン事務所に務める佐藤さんだからこその提案でした。日本では同種の芸術祭は、美術館からまちに飛び出した「まちアート」として、2000年に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が始まり、2010年に「瀬戸内国際芸術祭」がブレイクし、どちらも年間何十万人もの観客を集め、一般的にも認知されるようになります。 

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▲美術館やギャラリーを飛び出して突如町中や野外に飛び出したアート作品は、アートファンに限らず多くの人々を魅了しました。アーティスト:中島和俊。(写真提供:木津川アート)


前後して、日本各地で小規模な「まちアート」が林立するようになりますが、「木津川アート」ならではの特徴があります。 
「開催エリアが毎回変わるんです。エリアによっては徒歩で見て回るのには向いていない所もありますし、毎回同じ場所に固定していた方がやりやすいでしょう。エリアを変えることで会場探しや、地元の人たちとの関係を作っていくといった努力も毎回一から始めなければなりません。しかし、『木津川アート』は『自分たちのまちを再発見する』ことが目的ですから、色んな場所の魅力を発見していかなくてはなりません。それは、木津川市も共催として運営に関わり税金が投入されているからでもあります。それに、自分たちも同じ場所でやり続けるのは面白くない」 

公共性に加えて、なにより「面白いから」というのが大きな理由です。何しろ、それぞれが違う歴史を歩んできた三つのまちから生まれた木津川市には、土地それぞれに特徴があります。 
「その年のその土地の特徴があり、カラーがあります。自分たちのやりたいことをカラーとして提示するのが、私たちのポリシーです。だって、私たちは感動を生む仕事をお手伝いしているのですから」 


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▲2016年の木津川アートの開催場所である山城地区の上狛エリアは、お茶問屋が軒を連ね、歴史的な景観が保持されています。


佐藤さんには、このポリシーが間違いではなかったと確信した出来事がありました。
それはある年の会期中の出来事でした。

「見に回っているお客さんが、次回の開催地について話していました。なんとなく話を聞いていると、その中の1人が『次は山城でやるんやで』っておっしゃっているんです。驚きました。だって次回の会場についてまだ何も決めていなかったから(笑)」
毎年エリアを変えて開催するやり方が受け入れられ、これまでの流れから次は山城地域に違いないと、その方はすっかり思い込んでしまっていたのでしょう。
「それで、次回は山城を外すわけにはいかないなと思いました(笑)」

もちろん、このように「木津川アート」が多くの人に認められるようになるまでは、一朝一夕のことではありませんでした。

 
■行政と市民が二人三脚で 
「木津川アート」では、会期中の会場として、使われなくなった建物や空間を借りる所から始まります。
「ボランティアスタッフの中に『おそうじ隊』というのがあって、作家と共にお掃除して会場作りのお手伝いをします」
それまでは見向きもされなかった古民家や倉庫が、「おそうじ隊」によって綺麗になり、その場所にインスピレーションを得て作られたアーティストのオリジナル作品が展示されます。
空き家がひとつひとつ蘇っていくことで、まちの魅力がどんどん浮彫になっていく。
そんな驚きが「木津川アート」にはあります。

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▲「おそうじ隊」の活躍によって、空き家がアートの展示会場に生まれ変わります。(写真提供:木津川アート)

 
「『おそうじ隊』だけではなく、ごはんを作る『ぶたじる隊』もあって、『おそうじ隊』や『ぶたじる隊』にだけ参加するという人もいます。ボランティアのメーリングリストに登録して、アーティストが必要とする物品を提供するだけの人もいます。色んな参加の仕方がありますが、ボランティアスタッフを大きくわけると、楽しいことがしたいという人=アートファンと、市のために何かしたいという人=地元ラブの人がいます。その両者が関わることが出来るのが、まちアートの面白いところですね」 
アートがまちにもたらす効果を実際に体験することによって、地元ラブの人がアートを好きになったり、アート好きの人がまちを好きになったりもしたでしょう。 
こうしたボランティアスタッフに支えられてきた木津川アートですが、ボランティアだけで運営することには限界がありました。 

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▲イベントでは美味しいご飯を作る『ぶたじる隊』も活躍!! (写真提供:木津川アート)


「いつまでもボランティア中心でやるのは無理がありました。市の事業としてこれから継続していく、と検証委員会で決まり、第3回から行政と市民ボランティアが協力して運営する現在のスタイルになりました。事務局はたった2週間の会期のために、2年間活動します」
市の協力が得られたのも、それまでの2回の運営実績があったからこそです。
現在は、佐藤さんと、市の職員、観光協会の職員の5名の事務局と約20名ほどのコアメンバーによって運営し、メーリングリストに登録している150名ほどの木津川アートファンクラブによって支えられています。
 
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▲上狛でお茶屋さんを営むボランティアの村田さんは、まちの生き字引です。個性的なまちの方が多数参加しています。


「市職員が、地域との連絡役になってくれたり、掃除のゴミ搬出の手配をしてくれたり、
展示会場の交渉役になってくれたり、その存在は大きいです」

市が倉庫として使っていた古い物件も基地として貸してもらえました。
「木津川アートだけでなくみんなの基地として、まちで活動する様々な人に向けて開放します。
だって、みんなで使う方が楽しいことが生まれるでしょ」
一方、税金を使っているということで、自分たちの好きなようにやれないといったジレンマはないのでしょうか?
「公的な事業ということもあって、たしかにやれないこともありました。
でも、そのハードルは年々下がってきているようにも感じます。
最初はやりたいことの8割は出来ないように感じましたが、今はその比率が逆転しているように思います」

年がたつにつれ、アートがまちを、まちがアートを理解・尊敬しあう関係が育まれていった、
その成果ですね。

 
■まちに誇りを持つから続けられる 
「嬉しいことに『木津川アート』に参加してくれるアーティストも、作りたい気持ちを放出するだ
けではなく、まちのためにアートを作ってくれる人たちです。ほかの芸術祭でもそうだと思い
ますが、自分たちのまちに誇りをもっているからフェスティバルが続けられるんだと思います」
「木津川アート」は、2年に1回の開催ペースとなりましたが、その間も活動を続けています。
「基地では月に一回『月1会』を開催しています。トークイベントを開催する時もあれば、ただメンバーでおしゃべりをするだけの時もあります。今ではコアメンバーから様々な企画が生まれます。彼らは自分で考えた企画のリーダーとなって、企画書を書いて助成金に応募したりして活動しています」
「木津川アート」によってスタッフの成長は促されていったのでしょう。

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▲悪戯で割られてしまった大里資料館のガラスタイル。それを覆う形で作られたという作品。アーティスト:加藤史江 (写真提供:木津川アート)
 
 
「木津川アート」は、3つのまちの合併から、いうなればまちのアイデンティティ探しのために始まったイベントでした。
アーティストとボランティアスタッフの情熱に行政も突き動かされる形で、市を挙げてのフェスティバルへと成長しました。
2年に一度のフェスティバルというだけでなく、仮死状態だったまちに血液を通すような活動はいつしか、自主的な活動を通じてスタッフを生み、さらに能動的なプレイヤーが増えていく......。
「木津川アート」は、そんな木津川市の未来へとつながる事業だともいえる、と思いました。

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▲ただの被り物ではなく、針穴を通して外の風景が見える「カメラオブスクラ」になっているという作品。アーティスト:松嶋真・大手久美(写真提供:木津川アート)


では、次回からは多くのアーティストを引き付けた木津川市の魅力、そして堺との関わりについても探っていきたいと思います。 

【開催のお知らせ】
木津川アート2016
■会場:京都府木津川市山城地区
■アクセス:JR上狛駅・JR棚倉駅が最寄り
■会期:2016年11月6日~20日 10:00~16:00
■入場:無料

※さかいアルテポルト黄金芸術祭でも出展された、劇団GUMBOさんと中村岳さんも木津川アートに出展されます。公演「上狛キャッツ」には舞台美術を中村岳さんが担当。

 
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