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雑記帖 No.059

堺緞通 織りなす人々の物語2

技術の後継者たち

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■堺緞通の歴史を振り返る
日本三大緞通(だんつう=絨毯)に数えられる堺緞通。
そのルーツをたどれば遥かにシルクロードの彼方、紀元前のペルシャ(イラン)に行き着きます。堺で緞通の製造が始まったのは江戸時代の天保2年(1831年)で、織機には世界でも類を見ない巨大な開孔板綜絖(かいこうばんそうこう)と呼ばれる部品を使うなど独自の発展を見せました。しかし、最後の名人ともいえる辻林峯太郎(白峯)さんが平成4年に死去。堺緞通は風前の灯とすら、新聞報道されました。

存続の危機にある技術はどうなったのか、堺市中区東山の「堺式手織緞通技術保存協会」(以下、技術保存協会)を訪ね、事務局長の久城憲三郎さんにお話を伺いました。

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▲堺式手織緞通保存協会の久城憲三郎さん。

辻林峯太郎さんがお住まいだった深井清水町も堺市中区。深井清水町は「お寺と醤油屋以外はすべて緞通関係」と言われるほどの堺緞通のメッカでした。その理由はなぜでしょうか?
「(堺市博物館で見た通り)堺式緞通の織機は巨大ですので、広い場所が必要です。堺の市内から、(深井などの)土地の広い農村部へ広がっていったのです」

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▲幅3mにもなる巨大な手織緞通の織機(堺市博物館所蔵)。堺市博物館での企画展のレポートはこちら。

明治20年代に堺緞通は近郊農村の一大産業となり、「緞通業者は3千人以上、職人は2万人以上」になりました。
30年代には、アメリカで高い関税がかけられたり、安い海外製が出回るなどして、手織緞通は急速に廃れるのですが、その後は機械化が進みカーペットなどが作られるようになりました。
「機械織りは『ガチャマン』なんて言われました。機械が『ガチャ』と1回音をたてる度に万円稼げると、大げさに比喩したんですね」

そんな中でも手織の技術を保持し続けていたのが辻林さんでした。
辻林さん死後、その技術は途絶えてしまうのでしょうか......。


■後継者たち
辻林さんの最後の弟子は、尾関綾乃さんという女性。もともとは出版会社に勤務し、会社の資料室で見た辻林さんの作品の写真に魅了され、弟子入りを断っていた辻林さんの元に半年間通って許された、唯一の内弟子でした。

辻林さんが平成4年に亡くなると、技術保存協会は後継者の育成に奔走することになります。
平成4年9月の市の広報紙「広報さかい」に『堺式手織緞通を守る集い』と題して講座開設・受講生募集の告知を出したところ、33人の応募がありました。
「手織の作業は根のいる作業ですから、向いている人と向いていない人がいます。沢山受講されても、長く続けてくださる方は一握りなんです」
受講生で現在も緞通を続けている方は、わずかに4人の主婦のみ。尾関さんも死去された今、貴重な技術の担い手だといえます。

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▲技術保存協会の講座を受講し技術を受け継いだ主婦の1人、細川さん。

平成6年になると、もう一つの後継者の流れが生まれます。
田出井町にある大阪刑務所の職業訓練として、手織緞通が取り入れられたのです。講師となったのは、2人の主婦です。
「手織は、忍耐力が養われ、集中力を高め、さらに出来上がった時の喜びがひとしおだということで受刑者の職業訓練に相応しかったのです」

受刑者が織り上げた作品は、販売所や伝統産業会館などで展示や販売されています。その中でも、堺市役所の高層館展望室には、堺市に寄贈された特別な作品が展示されています。
仁徳天皇陵を写した航空写真をもとに織り上げたこの緞通は、2年2か月という通常の何倍も時間のかかった精緻なものです。

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▲受刑者が織り上げた堺緞通。この作品は伝統産業会館に展示されています。

受刑者の織る緞通は、受注生産も行っています。
世界遺産に登録された石見銀山にある重要文化財旧熊谷家の8帖間用にと注文を受け、1畳敷きの緞通を8枚も織り上げました。1枚織るのには4か月もかかり、3年越しで完成させたそうです。
「時間もかかるし、高価な製品ですから、売れるであろうと『見越し(みこし)』で生産することは難しいのです。いつまでに確実に完成しますとも言い難いので、時間をかけてもいい受注生産が一番ありがたいですね」

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▲石見銀山の旧熊谷家に納められた1畳敷きの緞通八枚。この依頼は、旧熊谷家と同じ古民家で、堺の中区にある兒山家を通じて、久城さんのもとに舞い込んだのでした。 ▲取材に伺っていた時に、丁度地域文化功労者表彰時の写真が届きました。

技術保存協会の活動は、いつしか公からも評価されるようになりました。
平成18年に堺緞通は府の指定無形文化財となり、平成25年には技術保存協会は文化庁から地域文化功労者として表彰されたのでした。


■手織緞通の技を間近に
手織緞通の技術を受け継いだ4人の主婦の技は、誰もが間近に見ることができます。
「毎週月曜日に中百舌鳥の産業振興センターと、材木町の伝統産業会館で手織緞通の実演をしています」

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▲大道筋沿い、材木町にある伝統産業会館は無料で見学することができます。 ▲細川さん考案の図柄が織りあがっていきます。

この伝統産業会館での実演を見学に行ってきました。
4人の方が交代で実演されているのですが、この日織機の前に座られたのは細川さん。
織る図案も順番に考えるそうですが、丁度、細川さんが考案された図案を織っておられました。
「紅葉を見に行った時に自然が美しくて、久城さんからも鮮やかな色彩がいいとアドバイスされてグリーンの図案にしてみたんです」

方眼紙に描かれた図案は、1マスごとに4本のパイル(羊毛)を使うのだそうです。
4本のパイルを一度に持ち、縦糸にくるりと巻き付けて通し、さっと手鋏で切り取る。一連の動きのなんと素早いことでしょう。カメラでの撮影が簡単には追い付きません。
しかし、この素早い技でも一列を織るのに相当な時間がかかります。伝統産業会館の織機は小型のものですが、それでも一列糸を通すのに30分近くかかったでしょうか。これが幅数メートルもの巨大なものとなるとどれほどの時間がかかるのか......。

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▲毎週月曜日に手織緞通の実演が行われています。

細川さんが緞通を織って一番の喜びを感じる時はどんな時でしょうか?
「自分の思った通りの柄が出来た時がうれしいですね」
図柄で円を綺麗に描くのは、手織の得意とするところだとか。

味わいのある手織緞通。この技が途絶えることなく、受け継がれていってほしいものです。

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▲大阪刑務所受刑者の作品。「辻林さんが好きだった『鳳凰』の図柄です」 ▲イラン人受刑者の作品。母親が絨毯職人だったそうで、刑期を終え母国に帰って絨毯職人になりたいと語っていたそうです。

堺式手織緞通技術保存協会
中区東山693-5
tel:072-235-5396
fax:072-236-6203


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