| トップページ |
颯爽人 No.032

松本知華 松本機械グループ (前篇)

遠心分離機のパイオニアメーカーの若き経営者

matumotochika_00_face01.jpg

松本知華

profile
関西学院大学卒業後、広告代理店の営業を経て株式会社松本機械製作所に入社。
株式会社松本機械製作所業務部から株式会社松本機械製作所専務取締役に就任、松本機械販売株式会社専務取締役に就任。
2014年6月、株式会社松本機械製作所、松本機械販売株式会社代表取締役に就任。


歴史を紐解くと意外なルーツにたどり着くことがあります。
1945年7月10日。大空襲が堺の町を炎で包みました。軍需品を作っていた工場は狙い撃ちにされ、戦闘機のプロペラを作っていたその工場も焼失したのだそうです。丸焼けになった工場跡地から部品を拾い集めて再建を目指したところから、その工場は70年の歴史を刻みます。
そして、2014年6月には四代目の社長が就任します。彼女の名は松本知華さん。
製造を担当する『松本機械製作所』と販売を担当する『松本機械販売』の二社からなる日本有数の遠心分離機メーカー『松本機械グループ』を率いる30代の若き女性社長の誕生秘話に迫ります。


■全てがオーダーメイドの遠心分離機
松本さんに、生まれるはるか以前に遡る歴史を語ってもらいました。
「1939年創業で、今年で77期目になります。機械工場で飛行機のプロペラを作っていましたが、戦後は軍需から転換しなくてはならなくなりました。丁度、日立製作所で働いていた方がうちに来られたので、外国製洗濯機の修理をしようとなったのです。当時、堺の浜寺に進駐軍の家族住宅があったので、そこを顧客にしようと大きな看板を掲げていました。するとある日、その看板を見た大手製薬会社の方が訪ねてこられたのです。『洗濯機の修理が出来るなら、遠心分離機の修理が出来ないか?』と」

matumotochika_01_mente01.jpg
▲お客様に販売した遠心分離機をメンテナンス中。


遠心分離機は、農薬・肥料・染料などの製造にも使われますが、製薬は他社が手を出したがらない分野でした。
「薬はほんの少しで効果が出ることもあって、精度の高さなど要求項目が大きい。面倒なので、大手はやりたがらなかったのです」
後発の企業として、『松本機械』は難しい分野に挑みます。
「営業がお客様が困っているところをヒアリングして、技術部に持ち帰り設計にあたります。ある製品で通用したやり方が他の製品では通用しないこともある。製造する遠心分離機は、クライアントごとどころではなく、各製品ごとに設計し製造しなければなりません。全ての機械が受注生産でオーダーメイドだといえるんです」
機械を納品したからといって終わりではありません。『松本機械』では納品後のカスタマイズにも細かに対応し、機械を進化させていきます。
海外のメーカーではこうしたサービスは一般的ではありません。こうしたお客様のニーズに応えるアフターケアに力を入れる方針が支持され、不況に左右されない製薬分野に力を入れたこともあって『松本機械』は安定して成長します。
「お客様の製品での売り上げも億単位ですから責任の大きさが違います」
製薬はニッチな分野でしたが、一方で市場も大きい分野だったのです。

製薬の他にも、農薬、化学品、調味料、そして液晶や工場で金属を削る際に出る油のリサイクルまで幅広く扱うようになり、業界屈指の企業となります。そして社長松本佳裕さんの長女である松本知華さんへと2014年にバトンタッチ。曽祖父の福太郎さんから数えて四代目の社長となります。

matumotochika_01_metal01.jpg
▲金属を削る際に使用する油は非常にコストがかかるので、金属くずに付着した油も遠心分離機で分離し再利用します。


■子供の頃から思い入れのある会社を継ぐ
松本さんは、小さな頃から会社のことを意識していました。
「私の下に妹がいるのですが、長女だし小さい頃から私が継ぐものだろうと思っていました。子供の時にも会社の花見や社員旅行にもついていったりしていましたしね。そして大学生になって、自分が大きくなれて大学にも行けたのは会社の皆さんのおかげだと気付いたのです」
それだけに会社に対する思い入れは人一倍です。
「婿養子を迎えたり、社内の人に会社を任せることも考えてみたのですけれど、私以上に会社に思い入れを持っている人間はいないという確信がありました。もし旦那が会社をやって失敗したら、私はその人を許せないだろうなとも(笑)」

matumotochika_01_chika01.jpg
▲自分は人見知りだという松本知華さん。先代の佳裕さんも人見知りの性格でしたが、「苦手だからこそちゃんと準備して営業に行くから上手くいく。得意な人は準備せずに行くからかえって上手くいかないと、父もよく話ていました」


大学生だった松本さんは、自分が社長になる将来を念頭に就職先の条件を絞り込みます。
「友達は大企業を選びましたが、大企業の中に行くと会社のごく一部しか見えないでしょう。私はどうやったら会社が元気になるのかを見たかったので、中小企業で社長がバンバンやっている所、伸びている所にしようと思いました。次に業種は広告関係がいいと。広告だと情報が集まるし人脈も出来る。そして最後に営業という職を得たいと考えました」
なぜ営業なのか? それは松本さん自身の性格を自己分析した結果でした。
「私は人見知りで、引きこもりがちな人間なのです。そんな人間が、自分の会社で営業したら、名前も松本だから失敗できないですよね。だから、自分を追い込む背水の陣で、他社で営業をしようと思ったのです」
伸び盛りの中小企業、広告業、そして営業職。その三つの条件に当てはまる就職先を松本さんは首尾よく見つけます。
「枚方の企業で社長さんは40代。創業3年で、天満にオフィスを移転する所でした。そこで私は広告販売促進に携わって、カレンダーやエコバッグを作ったりしていました」
数年間みっちり修行した松本さんは『松本機械』に入社します。

matumotochika_02_tanigawa01.jpg
▲16才の時から50年以上勤務の最古参の谷川さん。「苦労して苦労して、新しい機械を納めた時、お客様に喜んでもらえる時が一番嬉しい」


「最初の会社でも、社長の弟さんが働いていらっしゃって、周囲の目が厳しかったのを肌で感じていました。私も皆からすれば『お嬢さんが入ってきた』という意識をもたれて当然です。人の10倍頑張って1程度しか認められないとわかっていましたから、できるだけ一緒に油にまみれて機械のことを勉強しました」
業務管理部で見積の作成やデータ収集をしながら、自らも工具を握った2年間の勤務を経て、松本さんは社長就任を決断します。
「以前から先代の父には『自分は60になったら、外に出て好きなことをするからお前は好きなようにやれ』と言われていました。一方で、私も30になって結婚や出産を考えた時、社長就任と同時だと大変になると思ったのです。だったら、結婚・出産は相手もいることですから、会社の方を前倒しにすることにしたのです」
決意した社長就任。しかし、長い歴史を持つ工場を引き継ぐのは並大抵のことではありませんでした。


松本機械
堺区錦綾町2丁5番1号
TEL.072(229)3388(代表) 072(221)6622(製品に関するお問合せ)
FAX.072(228)1751







| トップページ |