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颯爽人 No.026

フォトグラファー 小野晃蔵 (前篇)

青年の彷徨 ~その時、その場にいること

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小野晃蔵
profile
1965年生まれ
1991年 スタジオ21入社
1996年 小野晃蔵写真事務所 設立
2003年 渡英ロンドンを拠点
2004年 大阪を拠点
2006年 Motor Life 個展 (chef d'oeuvre)
2007年 New York Festivals Awards ファイナリスト受賞
2008年 Not going well 個展 (millibar)
2011年 For Your Smile 311チャリティー写真展(中之島BANKS)
2011年 Motor Life 個展 (RePS)
2012年 LOVE THE MOTORCYCLE SCENE(6[rock])
2013年 For Your Smile 311チャリティー写真展(UMEDA HANKYU)
2013年 SPinniNG MiLL 設立



長らく眠りについていた建物が不意に目を覚ましました。明治時代の趣のある古い紡績工場がイベントホール兼アトリエに生まれ変わり、周囲の住人を驚かせたのです。
場所は堺区の北端の並松町。閉ざされた扉を開けたのは写真家の小野晃蔵さん。彼によって古い建物は「SPinniNG MiLL(スピニングミル)」と名付けられました。

■やめてみないとはじまらない
大阪市の下町生まれの小野さんが、どうして「スピニングミル」を手に入れ堺の住人となったのか、長い物語は小野さんが十代の頃に遡ります。

工業高校を卒業し大阪交通局の整備工場に就職した小野さんでしたが、それが自分が打ち込むべき仕事なのか悩みます。
「友達はみんな物を作る仕事をしているのに自分はいいのかとか、親方日の丸でいいのかという思いがありました」
かといって自分のやりたいことがあるわけでもない。21才まで悩んだ小野さんですが、ついに思い切ります。
「やりたいことは見つからないままでしたが仕事をやめました。やめてみないことにははじまらない、と思ったんです」
あてもなく仕事を辞めた小野さんですが、行動はアグレッシブでした。
「はたからは何も考えずフラフラしているように見えたかもしれませんが、求人誌を見てはちょっとでも気になる所には全部履歴書をおくりました。当時はまだバブルが終わりきっていない頃でしたから結構採用されましたよ」
中には誰もが知るような有名企業もありましたが、合わないと思うと半日で辞めたこともありました。

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▲体当たり人生の小野さん。その秘訣は? 「こちらが丸腰なら相手も丸腰になってくれる。断られて当然だと思っているから、断られることは気にしない」

「沢山履歴書を書き続けるうちに気付いたんです。毎回、得意な科目に『体育・音楽・美術』って書いていて、そうか、このどれかを職業にすればいいと。体育は今さら無理だし、音楽も難しいけど、美術ならいけるんじゃないかと」
小野さんはコマーシャルフォトのアシスタント募集に応募し採用されます。
「1991年に芦原橋のスタジオでカメラアシスタントになったんです」
しかしレンタルスタジオであったため、撮影をしにくるカメラマンを手伝うだけの仕事でした。
「ここで仕事をしていてもカメラマンの仕事の一部しかわからない。撮影の全てを知りたいと思って9か月でスタジオを辞めて、どうすればいいかプロのカメラマンにアドバイスを求めたんです。すると『最先端のアメリカ・ニューヨークに行けばいいんじゃないか』って」
その言葉に小野さんは即決します。その足で乗っていた車を売り、一週間後には得たお金でアメリカ行きのチケットを買いアメリカに飛んでいました。

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▲「スピニングミル」の一階には作業スペースも。

■アメリカでカメラの神様に導かれて
「ニューヨークには直接行かずに、ちょっとびびってロスアンゼルスへ行ったんです。そこでイエローページをめくって、カメラスタジオで日本人の名前を探して電話して会ってもらいました」
会ってくれたカメラマンは、グリーンカード(永住権)もなければ、プロでもない小野さんの現状を知り、「まだアメリカに来るべきではない」とアドバイスします。
「『アメリカでもアシスタントのカメラマンだけで食べている人間はほとんどいない。まずは日本でカメラマンになりなさい』、と言われました」
真逆のアドバイスでしたが、アメリカの実情を知り納得した小野さんは帰国を決意しますが、その前にせっかくだからとレンタカーを借りて一週間アメリカをスナップ旅行することにします。
この旅が、想像もしていなかった運命の出会いへと小野さんを導きます。

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「アリゾナ州のビスビーという町でした。ビスビーには露天掘りの鉱山跡があって、車で通りかかると道路脇で写真を撮っている人を見たんです。『あれ? 日本人じゃないか』と思って何故か気になって引き返したんです。そして『何をしてるんですか?』と声をかけたら、『作品を撮っている』と。『作品』という言い方に『この人はアマチュアじゃない!』と思ったんです」
小野さんの予想は的中しました。その人は写真家・三好耕三さん。文化庁の派遣制度でアリゾナ大学の写真の研究所で活動していました。二人はたまたま同じ「コウゾウ」であったこともあり意気投合。小野さんは自宅や研究室に招かれて作品を見させてもらい感銘をうけます。
丁度三好さんはインディアン居留地にあるチャペルを撮っていたのですが、その画面の中に誰かの捨てたペプシの缶が無造作に写りこんでいたりします。
「『どけないんですか?』と訊いたら、三好さんは『その時、その場にいたことに意味があるからどけないんだ』とおっしゃったんです」

三好さんと別れた後も、小野さんは三好さんの言葉を噛みしめました。
「実はその時もまだカメラで行くか迷ってたんです。でもアリゾナなんて場所の『その時、その場』で三好さんに出会って、これは意味のあることじゃないか。『お前はカメラの道にいけ』と神様が言っているんじゃないかと思い決心がついたんです」

こうして日本に戻った小野さんは、様々な撮影の仕事や、フリーのアシスタントをこなし、ついに1996年、31歳の時にスタジオを借りて独立します。
10年もかかった小野さんの放浪遍歴もこれで落ち着くかに思えましたが、とんでもない。ここから更なる冒険がはじまるのです。

後編(→コチラ)へ続く

小野晃蔵
大阪府堺市堺区並松町45
TEL&FAX 072-242-6874


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