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颯爽人 No.018

矢本憲久 株式会社LifeDesign

目的は目の前よりその先に

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矢本憲久
profile
堺市出身。桃山高校、桃山大学卒。
大手不動産会社を経て外資系保険会社に勤務。
2008年。独立し、株式会社LifeDesignを起業。


■弱者に危険な街を託されて
「堺東のイケメン社長」といえば、商店街の清掃活動でもお馴染みの『株式会社Life Design』代表取締役の矢本憲久さん。「そや堺ええ街つくり隊」副隊長他、様々な肩書きを持つ矢本さんは、堺東駅前商店街の会長でもあります。

前任の会長は80代で、40代になったばかりの矢本さんへ一気の若返り。会長就任が決まる2ヶ月前に、かねてから考えていた清掃活動をはじめたばかりでした。

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▲会長就任要請で「Life Design」の事務所にやってきた商店街の重鎮にぐるり囲まれる矢本さんの様子は、スタッフ高田さんによると「まるで怒られているみたい」で傍目には可笑しかったとか。

「5年前に堺東に事務所を構えてすぐに心斎橋よりも汚いと思ったんですが、仕事が軌道に乗るまで余裕がなくて、ようやく2年前に清掃をはじめました」
この時、周囲の人々に声をかけ商店街の取り組みとしてはじめたのは意図してのこと。月2回、朝9時から10時までの1時間と楽なペースです。
「なるべく長く続けたいので、しばりは無くゆるーくやっています。終わったら喫茶店でお茶をして。楽しくないとやれないですから」

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▲務めていた外資系の保険会社ではボランティアは当然という風潮があり、今の清掃活動をはじめるのも敷居は低かったのです。

ゴミ問題とリンクしている駐輪問題にも、意図的に仲間達と取り組みました。
「堺駅にも中百舌鳥駅にも地下駐輪場があるのに、堺東には駅前すぐの駐輪場が無い。自転車が溢れて、車椅子は通れないし、子どもの目の高さだと視界が遮られます。ゴミも捨てやすくなる」
安心・安全であるべき商店街が、弱者には危険な街となっています。
「値段や品揃えでは大型店舗には勝てませんが、お互いが顔見知りで会えば挨拶や会話を交わすコミュニティがあるのが商店街の持ち味だったはず」

堺東では人のつながりが薄れて問題が起こり、負のスパイラルに入っていたのです。
「掃除はあくまできっかけで、目的は商店街のつながりやコミュニティを復活させることなんです」

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▲子ども目線では危険な街。商店街の清掃をはじめる前に自分向けに分析や目標を考え企画書を書きました。


■人を巻き込んだネットワークは更に広がる
「人を巻き込んでいくのが、僕のいつもの手法です」
ゴミ問題でも駐輪問題でも多くの人を巻き込んでいきました。
「堺には堺のことが大好きで、堺のために活動している人が多いんですよ。大阪で働いていた時はそんな人に出会いませんでした。しかし、堺が好きな人もばらばらでつながりが少なかった」
だから人と人をつなげていきたいという気持ちが強くありました。

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▲「今やっていることは全て、掃除もそう、ガシバルもそう」と人を巻き込んでいくのが矢本流。

矢本さんが実行委員を務めるガシバル(堺東まちなか"逸品バル")もあえて人の手がかかるやり方を採用しています。
「他のバルだと店舗とのお金のやりとりが楽になるようバッヂ制などで簡素化をしていますが、ガシバルではあえてしていません。人と人と出会う機会を減らしたくないからです」

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▲プロジェクトチームを作って駐輪問題にも取り組みました。民間はソフト面、行政はハード面や法整備と得意分野を生かします。

駐輪問題は商店街だけでなく、行政も巻き込んで取り組んでいます。
「最初は行政とはぶつかりもしました。『役人なんて』と思ったり。でも、民間も行政もアプローチは違っても街を良くしたいという気持ちは同じ。同じ方向に顔を向けて、互いが互いの役割を果たせば早く解決します」
イベント時に仮設駐輪場を作るなど実績をつみあげ、いよいよ本年度中の駐輪機の設置が決定しました。

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▲市役所、ジョルノ、堺東銀座。「役所は単年度で考えるけれど僕らはずっといる」。長いスパンで考えながら協力していく必要があります。

矢本さんの活動は、組合の枠を飛び越えて地域が一体となったもの。
「ガシバルでもアーケードを越えてエリアを拡大し、組合も非組合も一緒にやっています。そこまで広げないと盛り上がらないじゃないですか。なによりお客様にとっては、組合も非組合も関係ない。堺東はひとつなんです」

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▲いずれは山之口商店街、堺駅の商店街とも共同し大小路をぶちぬいて一緒にやりたい。「その時になってからネットワークを作り始めても遅い。今から素地づくりですよ」

さすが本業は保険屋さん。深謀遠慮に関心してしまいますが、実は矢本さんの社会人としての第一歩は保険業ではありませんでした。


■保険の大嫌いな保険屋さん
「僕は保険って大嫌いだったんですよ」
矢本さんの口からは意外な言葉。

「もともと不動産で働いてました。ある日、保険の営業マンが来て、30分、10分、いや5分でいいから話をさせてくれと。同じ営業として『この人は5分で何をしゃべるんだろう』と興味を引かれて話を聞くことにしたんです」
すでにエース級の営業マンで、お金をもらって勉強できる社会人は素晴らしい! と休みも欲しくなかった矢本さんでした。
「会ってみたらめちゃくちゃ話が面白くて。『5分たちましたけどどうします?』と言われ『まだ時間あるから話してよ』と」

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▲不動産では新人に電話なんて取らせてもらえませんでした。矢本さんは休日に事務作業を回して出勤。「留守電に入ってた問い合わせは全部自分のものになりますからね!」

後日営業マンが『最高の提案』を持って来ると、さらに驚かされます。
「あまりにも良い提案で今すぐ契約すると言ったら、『今日は出来ません』と断られたんです」
保険は家族のためにするものだから、家族も納得の上で契約してほしいのだと。ハンコを押したいというお客様を断るなんて、不動産の常識では考えられませんでした。

その保険会社からヘッドハンティングされた時も、断る気でしたが、よく知るにつれ衝撃を受けます。
「自分が汗を流して作り上げつつあった理想の営業の完成形がマニュアルとしてすでにあったんです」
出会った営業マンの誰と話をしても会社に対する態度にブレがありませんでした。
「30代、40代のサラリーマンが目を輝かせている。会社に対する悪口は一切無い。この人達と一緒に働きたいと思ったのが転職の動機です」

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▲同僚がキラキラしていたのは「フルコミッション制なんだから全部自分の腕次第、会社に不満がないのは当然ですよね(笑)」と後に秘密の一端に気づいたとか。

「保険業はどちらかというと辛い仕事です」
病などでお客様を亡くし、家族が深い悲しみの中にいる時も粛々と業務をこなさなければならない。しかし他ではないやりがいもあります。
「例えば、友人が子どもの学費に困っていて助けてくれと言われても普通助けられないでしょう。でも、僕たちなら中に入って困らないような提案をすることができる」
お金に困っていないのなら、保険なんて入らなくていい。保険は困っている人のものだと矢本さんは強調します。

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▲路地に面した矢本ビルの入り口。「ご相談は24時間いつでも受け付けます」と、困った時には心強い街の保険屋さんです。

矢本さんが独立を決めたのは、祖父祖母の代から商売をしていた堺東のビルのテナントが開いたことから。当時は駅前再開発問題でごたついていたこともあって、フットワークの軽い保険業のオフィスを開くことにしたのです。
「お客様とは一生のつきあいですから、保険業をやめるわけにはいかなかったんですよ」


■この役割がライフワーク
保険業にはお客様と強い結びつきがあります。
長く続けているフットサルも、もとはスポーツバーのマスターだったお客様から声をかけられたのがきっかけ。そのバーでウェイターをしたこともあります。頼まれたら断らないのが矢本さんです。
「こんなのありえへんって事の方が面白いでしょう」

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▲フットサルを続けて11年、いつしか新しい仲間たちに入れ替わっていました。「お客様から相談されて安い家電のお店を紹介することもあります。電気店も保険のお客様だったりもするんです」 人の縁でつながるお仕事です。

この若さで会長を引き受けたのも同じことでした。
「大変じゃないことって喜びも浅いと思うんです。しんどくなかったら楽しくないですから」
1日24時間しかないから優先順位はある。それは面白いかどうか。

「ボランティアというよりは、ライフワークですね。僕は今、独身ですから家族に回すべき時間はいらないんです。だから、街のために自分の役割としてやっているんです」
堺東がつまらない街だと言われたら悔しい。堺東を面白い街だと言われる街にしたい。それが原動力です。


■ガシバルの功罪。街の姿を変える取り組み。
「ガシバルのアンケートを見ると、外来者の評判はおおむねいいんですよ。ガシバルで知ったお店を気に入って堺東に通うようになったなんてちょくちょくあるんです」
一方で、飲食イベントのイメージが付きすぎたのは弊害だと考えています。
「商店街は、飲食だけでなく物販や生鮮食品など、すべてが揃ってないと」

バランスのとれた商店街を目指すべく、現在着手をはじめたのは高度利用です。
「堺東は1階はほぼ埋まっているんですが、2階以上は結構空いているんです。堺東は家賃が高いイメージがありますが、2階以上は案外安いんですよ。駅前で便利で集客力もあるし、特徴のある物販のお店にとっては十分に魅力的な物件ですよ」

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▲堺東の2階はまだまだ空きスペースが。

雑貨販売やハンドメイドの作家に堺東の魅力を知ってもらうために、『ガシ横マーケット』と名付けた物販イベントを企画しています。
「物販のお客様が来ることで今までと違う層のお客様が来ることになります。ついでに飲食店を訪れてくれれば、飲食と物販の異業種が交錯して活性化が促進するでしょう」
その鍵を握るのは若い世代です。


■40才のライフデザイン
「古い世代と若い世代。どっちが意識を変えるかというと、若い世代が自分達の意識を変えるべきです」
若い人に期待してガシバルにも大学生にスタッフとして参加してもらっています。
「僕は40代の会長ですが、40代でも遅いんです。すでに考えが凝り固まっていると思います。20代~30代の人に早くバトンを渡して、40~50代の人はバックアップに回らないと」

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▲「結婚するなら10年後ぐらいかな?」商店街の貴公子が落ち着くのはまだまだ先のようです。

40才になった時に、矢本さんは自分の人生のライフプランニングをしてみました。当時の自宅は富田林でしたが、転居の決意を固めました。
「堺東で働いていて、堺東に骨を埋める覚悟を決めて、堺東で暮らすことにしたんです」
自分も「明日にはどうなるかわからない身である」のは、保険に携わっているものとして身に染みています。

誰もがいつ弱者になるかわからない。弱者に優しい街は、健常者にも優しい街。目指すのはそんな街です。

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▲最初は堺東への思い入れもなかった矢本さん。でも、まちづくりに関わるうちに愛着を抱くようになりました。もし堺以外の町から助けてくれ、会長になって住んでくれと言われたら? と問うと。「うーん。ないな」

「僕が変わったように、他の人が堺東を愛着をもてる街に出来たらと思います。なによりも将来、『お父さんなにやってたの』なんて言われたくない。若い世代に胸をはって、これが僕らの街だよといいたいじゃないですか」

その頃の矢本さんは?
「『商店街大好きジジイ』になってるんじゃないかな? ずっと商店街に居て『こら、ゴミすてるな!』とか言ってうるさがられたり」
なんだかその様子が目に浮かびます。


株式会社LifeDesign~堺東の保険屋さん~
堺区中瓦町2丁3-20 矢本ビル3F
tel:072-222-3265
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