野口真龍さん24歳の時に住職として任された愛染院は、堺市の指定有形文化財でもある歴史あるお寺でしたが、檀家をほとんどもたないスタイルで、戦後の農地改革で土地も失った、何もない景気の悪いお寺でした。回る檀家も数えるほどで、考える暇だけはたっぷりあった野口さんは、宗教施設であるお寺は檀家だけのものではなく皆のものだと考えるようになりました。愛染院の門を開き、20年ぶりに夜店のある千日会を復活させ、節分の振舞いぜんざいを始めると1000人を超える参拝者が訪れるようになりました。
そして、住職になりたての頃は10軒ほどの檀家で、忙しいお盆でも最初の日の半日で檀家回りが終わってしまうほどでしたが、今ではお盆の三日間で回り切れないほどの檀家に恵まれるようになりました。
しかし、野口さんは日本の仏教界には危機が迫っているのだといいます。
■仏教の危機?
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▲昭和62年、24歳の時に普光山愛染院にやってきて住職となった野口真龍さん。 |
「現在日本にあるお寺は7万ほどですが、30年後にはこの数が半減すると言われています。その原因は少子化です」
2017年、日本の新生児の出生数は2年連続で100万人を割り、死亡数が40万人上回るなど、日本の人口は急速に減少しはじめています。現在1億2千600万人の人口が、30年後の予測では1億1千万人を割り込むとか。
「でも、私は心配していないのです。というのは、普通のお店でしたらお客様がいなくなったら潰れるわけですが、檀家がないからお寺が潰れるなんてことがあっていいのかということなんです。私だって檀家に食べさせてもらってはいるのですが、これまで檀家にあぐらをかいていた日本の仏教が今こそ考える時だと思うのです」
野口さんんが「心配していない」というのは、危機がやってこないという意味ではなく、危機だからこそ改革のチャンスという意味のようです。
「あるアンケートを見たことがあるのですが、それによると仏教に期待するものはありますか、という問いに80%の人は期待すると答えているのです。一方で僧侶に期待しますかという問いには、80%が期待しないと答えています。これについて僧侶は考えるべきです」
野口さんは、檀家からお布施をもらった瞬間、電灯に封筒をかざしてみるような僧侶も見たことがあるそうです。
「封筒を透かして『またか』って言うんですよ。またかはないでしょう」
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▲江戸時代に建造された愛染院の本堂。全国に7万ある寺院も、30年後には維持できず半分になるかも? |
開いた口がふさがらないような、僧侶の堕落は結果としてあらわれています。
「今、関東圏では30%がお葬式をしなくなっているのだそうです。なぜしなくなったのか、それは日本の仏教界の私たちにも責任があると思っています」
多くの人々が命の大切さを感じられなくなったことに、野口さんは責任を感じています。
「仏教では自分は宇宙と共に生きていると考えます。他の存在と自分も共に生きている。毎日食べる食材にも命があって、肉や魚だけでなく、野菜も生き物だし、だからご飯を食べる時は、【命を】いただきますと言うのです。でも、私はショックな事があったのです。鳥インフルエンザや牛のBSEの時のことを覚えていますか」
BSEは2000年代初頭、鳥インフルエンザは2005年ごろに日本でも感染が確認され、大きな騒ぎになりました。
「あの時、感染した牛や鳥をどうするといいましたか。”処分する”とメディアは言ったんです。食べている命なのに、処分という言葉は無いでしょう。これはさすがに抗議の投書でもしようかと思ったら、まったく同じような意見の投書をされている方もいて、しばらくしてから殺処分という言葉が使われるようになりました。それにしたってですけれど、人間に当てはめたら気づくこともあるのではないでしょうか。人間相手に処分とは使わないでしょう」
生き物の命が軽んじられる現代の日本ですが、そこに違和感を感じる人も多く、だからこそ80%の人が仏教に期待しているのかもしれません。では、一方で80%の人に期待されていない僧侶であることについて野口さんはどう考えているのでしょうか。
■出家者としての覚悟
「私は出家者であると同時に生活者です。飲みにも行くやろうし、アホな事もするやろうけど、でもここだけは出家者が他とは違うというところがないといけないと思っているのです」
それはどこなのかと尋ねると、意外な、あるいは至極最もな答えが返ってきました。
「髪の毛を短くしていることですね」
髪の毛が短いことをボウズというぐらいですから、僧侶が髪を剃っていることは当たり前のことだと思えます。
「髪の毛を剃っていることで、コンビニに行ってもどこへ行っても常に人に見られているという意識が生まれます。何かをする時にも、これは僧侶としてどうなんだろうと常に思っているのです。宗派によっては髪の毛を伸ばしてはるとろもあって、剃らないことについてどう考えているのですかと聞いたこともあるんです。すると『髪を伸ばしてなかっても戒律を守ってないとあかんやろ。伸びている伸びてないは関係ない』というお考えなんです。それはそれで一理あるのですが、髪の毛を剃るというのは、こだわりの気持ちを捨てましょうということでもあるのです」
それは髪の毛と一緒に、こだわりを捨てるということなのでしょうか。
「たとえば身だしなみというのもこだわりです。人にどう見られたいかということでしょう。髪の毛がなかったら、キューティクルがどうのとかも考えないですし、リンスしなきゃというのもない。自らがこだわりを捨てるというのがこの頭なのです」
こだわりを捨てるのは髪、見た目だけではありません。
「たとえば、ものごいの乞食という言葉も、仏教の【こつじき】から来ていますが、惨めかもしれないけれど、食べ物を請う。そういうプライドを捨てなさい。恥ずかしいということ自体、何かあるのです。仏教国であるタイやビルマでは今でも僧侶が物乞いをしますが、そういうことの表れです。逆に周りからすると、それが布施になる」
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▲ユーモラスな語り口の野口さん。ですが「幸いお酒が飲めませんので」だそうです。 |
そんな野口さんにも、自分の弱さと向き合った出来事があります。
「忘れられない出会いがあります。ある時、夕方になってそろそろお寺の門を閉めようとしていた時に若い夫婦が訪ねていらしたんです。実は流産をされたばかりで、亡くなった赤ちゃんの弔いをしたいのだけれど、どうしていいかわからないので相談に来たとおっしゃるんです。それでご実家の宗派をお聞きしたら、うち(真言宗)とは違う宗派でした。うちでしてあげても構わないのだけれど、どうせだったらご実家と同じ宗派のお寺でやられたらどうですか? と提案したのです」
若夫婦は、実家の宗派と同じ宗派のお寺の場所を聞いて、そちらを訪ねていきました。これで野口さんも一安心と思いきや、再び若夫婦が愛染院を訪ねてきたのです。
「お話を聞くと驚きました。そのお寺で、インターホンごしに檀家以外の相談は受けないと言われたのだそうです。インターホンごしですよ。これは仕方がないと、一緒に仏具屋さんにまで行きました。それで小さな仏壇を買って頂いて、ご実家の宗派の仏さまの掛け軸をかけて、よく拝んであげなさいとお話をしました。それで必ず何かいいことがあるというわけではないけれど、何か不幸があった時に、お弔いをしていなかったせいにせずにすみますよと」
結局、同じ宗派のお寺からつれなくされた夫婦のために、野口さんはその宗派の信仰を勧めることになりました。そこまで尽力した理由はなんだったのでしょうか。
「正直、最初に来られた時に、もう時間だし門をしめて今日は終わりましたと断りたい気持ちもあったのです。でも、出家者として見られているということを思ったのですね。このままだと2人と仏教の縁が切れてしまう。仏教のためにという気持ちもあって、2人を助けたのです」
2人との出会いはそれっきりで、その後どうなったのかはわかりませんが、野口さんには忘れられない出会いでした。
■ラジオのように発信しつづける仏教
「愛染院の門を開けたおかげで、私の仏教観も変わりましたね」
と野口さんはいいます。門を開け、多くの出会いを得た野口さんの仏教観はどうに変化したのでしょうか。
「これまでのお寺は檀家制度をやっていけばやっていけた。でもそれが内向きなのですね。門を開けて話すこと、情報発信をしていかねばならないと思います。それは教団として何かとかは思っていません。私は電波を発信していくのが仏教のスタイルだと思います。ラジオのチューナーが合うように、たまたま電波が合うようなこともあるだろうと思うのです」
野口さんが、千日会や節分のイベントに工夫を凝らしたのも、電波を発信していくことに他なりませんでした。
「誰でも自由に来やすい。それが本来の仏教の考え方です。節分にぜんざいを出す、夏には夜店が出て、見たことが無い転読をする。ちょっとでも宗派を超えて、冷やかしでもいいから門をくぐって誰でも来る。面白かった、楽しかったと思って頂ければいいのです。誰でも来れるように、お寺から施しをさせてもらっているのです」
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▲千日会や節分といったイベントだけでなく、常に情報発信を続けるのが仏教。 |
この野口さんの「ラジオ」は、出会った人たちの協力を得て年々コンテンツを魅力的に発展させているようです。千日会では落語家の桂紅雀さんに司会をお願いするようになっていたのですが、地域の方から「司会だけではもったいない」と会場提供の申し出があって、ついに門前落語会まで開かれることになったのです。
落語の笑いまで内包してしまった愛染院。内向きではない、発信しつづける仏教は、これからどんな発展を遂げていくのでしょうか。
高野山真言宗 愛染院
堺市北区蔵前町2丁12-12
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